紐力の虹

daily life 】 2013 / 01 / 01

 およそ30分前のことを去年と呼ぶことに今さらながら小さな驚きを感じつつ、プレミアムモルツとのどごし生とアルゼンチンの激安白ワインですっかり出来上がったまま今これを書いています。特に言いたいこともないまま、ぼんやりと去年のことを思い起こしながら。

 2012年はよき人たちと巡り会い、新しい機会に恵まれた年になりました。冬から飛び込んだプロジェクトで分不相応な期待感に身をかたくしつつ、取り出されるデータからうかがえる予想だにしなかった変化に驚きつつ、今年は成果を出すために動かなくてはならないようです。まともにふるったことのない刀の切れ味や如何に。

 もう一つ、個人的には自分の中の言葉を結び直す作業を春過ぎから秋にかけて続けていました。 佐々木中「定本 夜戦と永遠---フーコー・ラカン・ルジャンドル」(河出文庫)を読み終えたのがきっかけとなり、もう一度、哲学を自分の中に置き直すために、ちくま新書の入門書を中心に読み進めました。ラカン、フーコー、ハイデガー、ニーチェ、カント、そしてプラトン。哲学史の糸をたぐる孤独な営みは、入門書の上澄みだけでも知的喜びを感じさせてくれます。ともすれば、いまの自分の仕事とまるで結びつかない古き良き知恵と向き合う上でひとつの道筋を示してくれたのは、スラヴォイ・ジジェクが 「ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として」(ちくま新書)の冒頭にそっと置いていた、こんな言葉でした。

真に偉大な哲学者を前に問われるべきは、この哲学者が何をまだ教えてくれるか、彼の哲学にどのような意味があるかではなく、逆に、われわれのいる現状がその哲学者の目にはどう映るか、この時代が彼の思想にはどう見えるか、なのである。

 ジジェクを最初に知ったのは、確か浅田彰の対談集 「『歴史の終わり』を超えて」(中公文庫)で、その後翻訳される本を割と購入しては適当に読み飛ばしていたんですが、たぶんそれなりに影響を受けていて、例えば「海街diary4 帰れない ふたり」なんかはジジェクをくぐっていなければあの書き方にはなっていないはずなんですが、まあそれがよかったかどうかは別の話。

 上に引いたジジェクの一節は言い換えれば「温故知新」みたいな身も蓋もない話なんですが、そこにとどまらない幅を持って、古きを尋ねるぼくを押し上げてくれたような気がします。

 例えば安部公房が今なお生きていたとしたらどんな小説を書くだろう、ということを時折ぼんやりと思い浮かべることがあります。答えが出たことはありません。もう一つ、埴谷雄高は 「死霊」の第1章に、首猛夫と岸杉夫の対話としてこんなことを書いています。

 ── そうなのですよ。岸博士。この絶世の美人は東洋的な愚劣な幻想だが ── 二千三百年前のアリストテレスの幽霊がいま貴方の前に現われたとしたら、ふむ、貴方はどうします?

 ── どうするって……どういう意味です?

 ── つまり、まあ、論理学の講義でも貴方にする……としてです、貴方はアリストテレスを賛嘆するでしょうか?

 ── そう、二千三百年前の偉大な才能を称えるでしょう。

 と、岸博士が落着いて答えた瞬間、軀全体が揺れ上がるほど首猛夫は爆笑した。

 ── おお、嗤わしちゃいけませんよ、岸博士。僕が訊いているのは、二千三百年以前の……まあ、百年以前のでも好いが、或る思索者の思想についてなんです。つまり ── 或る瞬間でぴたりと機能をとめてしまった思想は、恥知らずではないかと訊いているんです。

 ここで首猛夫と、ジジェクは、ぼくの中で奇妙な緊張感を持って対峙します。そしてもう一つ。 ロバート・パーシグの「禅とオートバイ修理技術」という小説があるんですが、主人公の前に現れるのは、アリストテレスではなく、パイドロスの幽霊です。ところがぼくは、プラトンの 「パイドロス」を読んでいなかったわけです。そうなるともう、パーシグの小説は、これは読めない。

 ベルナール・スティグレールは自らの技術論を語る際にプラトンの 「メノン」に言及し、ジャン=リュック・ナンシーは 「声の分割」で「イオン」という文庫化されていないプラトンの著作とハイデガーの仕事をつなぎあわせています。フーコーの最晩年の仕事もプラトンを再発見し、ニーチェもまたプラトンについて語っています。ハイデガーはソクラテス以前の哲学者、ヘラクレイトスやアリストテレスと、ニーチェをめぐる仕事をしています。そして、割と注目されていない晩年の技術論に現れる「ゲシュテル」というタームがスティグレールの仕事に影を落とす。この、めくるめくような、テクスト。常に先行する書記を求めてやまない、テクスト。

 「メノン」、「パイドロス」、 「ソクラテスの弁明・クリトン」「パイドン」といったプラトン中期の作品群を、時に興趣をそそられ、時に退屈しながら読み進めました。われわれのいる現状が、プラトンの目にはどう映るか思いを馳せ、答えが出ぬまま、もう一度自分の中に哲学史の線を引き直す。プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェ、フッサール、ハイデガー、デリダ、そしてスティグレール。

 そう、はじまりはスティグレールだったんだ。2009年末に東大の情報学環のシンポジウムで来日した際に彼の言葉を同時通訳を通して受け入れて、何冊も読み進めて、最後に残った主要著作 「技術と時間」で躓いた。スティグレールと同じ場所で時間を過ごしてから、もう3年が過ぎたのだなあ。

 ただ一冊の本を読み通すためだけに、知らなければならないことがいかに多いことか。そしてたぶん、多くの人はそんなことを知らない。それは今、書店で平積みされている本の表紙を眺め渡せばなんとなく想像はつく。それにしても、有用性だけを価値の尺度として生きることは、貧しくはないか? ぼくはごめんだ。テクストの誘惑に身をゆだねて、糸をたぐろう。そして、今年こそは、「技術と時間」を読みたいなあ。

 おや、もうこんな時間ですね。あけましておめでとうございます。




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解毒中

daily life 】 2012 / 02 / 18

 年が開けてみればにわかに身辺賑やかになり、なんだかやたらと仕事をしている。それが普通なのだろうが、衰弱堂としてはいささか異常事態である。怠けたい。ぐうたらしたい。楽を求めて悪あがきする心を沈め、どうにかリクエストをこなしていく日々である。仕事に関しては以前のようにXの件は云々、などとなんだか書きにくい。仕事のラインが複雑になっているのと、エンドのクライアントがびっくりするほどでかくて堅い企業で、機密保持もあるがそれ以前に腰が引けているせいなのか。主にGoogleアナリティクスからストーリーラインを引っ張り出しています。

 あ、やってることはそんなに大したことじゃありません。キーフレーズはビッグワードが多くてあまり参考にならず、コンテンツカテゴリ単位でアドバンスセグメントをかけて、サイトのすべての訪問数とセグメント別の訪問数の比較、ランディングページ、主要なページの訪問数、ナビゲーションサマリでのPV数ベースの遷移あたりを見て解釈していく感じ。サイトの規模を考えると、この手の数字が、設定すれば10秒ほどで取れるというのは実はすごいことなんだよね。生ログを使っていた頃はもっと待ち時間があったような気がする。このあたり、昔のプログラマはコンパイル中にゆっくりコーヒーが飲めた、みたいなエピソードに似ているような。そして数字は一瞬で出るけれど、その読み取りにかかる時間は大して変わらない。このできそこないの脳みそも分散処理でスケールアウトさせられないものか。いや、うすらばかがスケールアウトして、いったい何の意味があるんだ。

 週次ペースで土日のデッドラインにおびえながら資料をまとめ、週が開けるとコメダ珈琲店でプレゼンターに資料の説明。よそさまのお金でコメダで打ち合わせとくれば、シロノワールでも頼んでみればいいものを、器が小さいのでアイスコーヒーしか頼めぬ有様。それでも、たっぷりアイスコーヒー(普通のアイスコーヒーより100円高い)を頼むあたりに少しだけ器の大きさが……見えないよな。小さいよ、衰弱堂。まあいいじゃありませんか。で、もっぱら裏方として資料作成に勤しんでいたはずなのに、なぜか気づいたら定例Mtgに引っ張り出されています。聞いてないぞそんなの。そんな事態もわりあい楽しんでいます。

 そんなこんなで1月をいっぱいいっぱいで過ぎ越し、よたよたとよろけるように2月も半ばを過ぎたところで、ようやく今週末一息ついたところ。小人閑居して不善を為す、というけれど、生来がものぐさなたちだから不善すらなすところなし。なにもせず、ぼんやりとTwitterやFacebookを眺め、どうでもいいことを考えている。不善はなさぬけれど、よからぬことはひとつまたひとつ、泡のように胸をよぎる。Twitterでfollowしている彼の人はどうしてこうもあれなのか、もうがまんならぬとunfollow。あ、会ったことのない人です。たぶんこの雑記を読んでいるあなたではありません。念のため。

 次々と積み上がるタスクをこなしつつ、このペースはやばいな、コップの水があふれるかな、と思っていたところが、腹をこわしたりしつつも存外耐えてしまった。そうして一息つくと、何だか変な毒みたいなものがぐつぐつぐつぐつ煮え立っているのに気がついた。なんだろう、この理不尽な怒りのようなものは。ぼくはいったい何に対して腹を立てているのか。冷静に考えれば、見知らぬ誰かが何を言おうがどうでもいいことなんですけど、無邪気な物言い(オブラートで5cmくらいくるんでます)を目にするうちになんだか妙に腹が立つ。やっぱり器がミクロだよ、衰弱堂。クラウドでなんとかならないものか。ならないよな。

 そうしてミクロの決死圏でよからぬ思いに身をやつすわけです。人畜無害なことを平気でいう人って、実は有害だよな、とか。なんかそうした物言いを目にしているうちに自分が実は賢いんじゃないかという大いなる錯覚が沸き上がってくるんですよね。そんなわけないだろうと。悪霊退散悪霊退散。強力招来超力招来。ああ、次から次へと毒が生成されておるわい、ひひひ。この手の毒は、いったいどこで吐き散らしたらよいのか。いや、迷惑だから吐き散らすなと。そんなことを考えるうちに自家中毒で全身に毒は回り、変な衰弱の仕方をするのです。いかんいかん。この衰弱堂ブラックみたいな別人格をどうしたものか。ひたすら毒だけを吐き続ける場所がほしいぞ。あれかな、はてなブログ使えばいいかな。あれなら誰も読んでないし。本人も普段は存在を忘れているし。

 ああそういえば、本人も忘れていたしこれを読んでいる人はたぶん知らないと思うけど、衰弱堂は昔、リアルで堂々と「ばかにばかって言って何が悪いの」とか平気で口にしたことがあるんですよ。全然別人格じゃないじゃんかよ。お前そのものだろ。この、毒々衰弱堂め……認めたくないものだな、若さゆえの過ちというものを。というか、若さゆえの過ちは認めてもいいけど、自分の老いは認めたくないものだなと思ったりもする今日この頃。そういうわけで、ただひたすら個人的な解毒のためのエントリはこれにて。




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本を読んで寝よう

daily life 】 2011 / 11 / 28

 特にこれといった計画もなしに書き始めているから、どこに行くのかはわからない。tumblrでたまたま、伊集院光が深夜の馬鹿力で立川談志をゲストに呼んだ回のエピソードを見かけて、話が飛んでいくという話のことを思い出した。久しぶりにdaily lifeのタグで何か書いてみるかと思いつき、久しぶりにZoundry Ravenを立ち上げてみたところだ。

 あいかわらず衰弱堂を名乗っているからには、やはり衰弱はしているわけだけれども、それでも心持ちゆるやかな日々が続いている。日々の合間に、いくつかの仕事。金曜日、朝8時に家を出て、銀座、京橋と打ち合わせが続いたのには我ながら驚いた。こんなところの仕事はあまりしたことがないんですが。まあ場所にかかわらず、ぼくはぼくにできることをやるだけで、特に何かが変わるわけでもないのだけれど。銀座から、東京まで歩き、少し写真を撮った。ビルが立ち並び、細い道の間を、小さなものとしてもっさりと歩く。見渡す限り、一つ一つの建物の中に、たぶん人が蠢いているということに、時折はっとさせられる。京橋の会社には二人の美しい受付嬢がおられました。あと、受付の少し奥、エレベータホールの片隅にごくふつうの男性が立っていました。あの人は、一日中あそこに立っているのだろうな。なにか切ない。大学生になったときに、はじめてアルバイトをした。土曜日と日曜日、横浜のパソコンショップで店員をしていた。その店はもうない。段ボールに手鈎をつける紐の結び方は、その店で覚えた。お客さんもほとんど来ないまま、店で立ち続けていると、だんだん足首に疲れがたまってきて、一日が終わると、ああ今日も足首で稼いだなあ、と思っていたように記憶している。

 父の一周忌で久しぶりに磯子に行った。菩提寺は駅から少し歩く。国道16号から、途中で脇道に入る。バスに乗ればよかったか、と緩やかな坂の途中のバス停を見ると、日曜日はほとんどバスは来ないようだ。横浜の風景は、何気ない空でさえもがそれらしく見える。坂がちな地面の上に、なんとかつじつまを合わせるようにして立ち並ぶ家々。寺は小さな丘に抱かれるようにひっそりとある。都内に越してから、そうした緑を残した家のありようを見ない。ああ、ここは横浜なんだね。覚悟なしに、もう戻らないと思っていた場所に、この一年、何度か呼び戻されている。

 小学生の頃、一番近い図書館が磯子にあって、2週間に一度バスで通っていたことがある。弟を連れて、弟の借りられる分までぼくが本を借りた。帰りに通った産業道路沿いにまだあの建物はある。あの頃手にした本は、すり切れて、きっともうないのだろう。磯子駅前の雰囲気はなんとなく川崎駅のそれに似ている。駅から東京に向かって伸びる道路のありようも含めて、似ている。駅の周りには、こんなにも空っぽのスペースがあるのかと、少し不思議に思うのも似ている。

 今週は役所だかに持っていく個人的な申請書類を書く以外には特に予定がない。あとは散髪と、クリーニング料半額の金曜日に喪服をクリーニングに出すくらいか。ふと思いつきでブックオフオンラインで購入した ポール・ヴィリリオ「自殺へ向かう世界」 を読み始めた。9.11直後のヴィリリオの一冊。それにしても、3.11以降のぼくらの時間はなんという速度で過ぎ去ったのか。こんな風にして一周忌を過ぎ越すとは思わなかった。そしてまた、これを書いている間に茨城で地震。

 9.11、3.11と頭の中で並べてみて、では6.11には何が来るだろうという不謹慎なことを考えていた。9.11においては人の意志が極限に向かうさまを目にし、3.11ではそうした意志を超える天災と、意志の欠如からくる人災を見た。6.11はきっと、ぼくらが住むこの球体の外から来るなにかが引き起こすにちがいない。なんだそれは。まったく、小人閑居して不善を為すとはこのことだろう。

 読むことと書くこと、それは確かにつながっている。呼吸のように。吸気が呼気に変わり、また呼気を引き起こす連続のように。そして呼吸の停止点のように、書くことも読むこともままならない瞬間もまたある。いまぼくはどこにいるのか。とりあえず、ぼくはこれを書いているところだけれど。本を読んで寝よう。ああ、これがタイトルだな。

 そう、ぼくはずっと昔、こんな風にして、衰弱堂雑記を書いていたよね。なぜあれをやめてしまったのだろうか。ぼくにもよくわからない。作りすぎないものにも、またいくばくかの読まれうる何かが宿ることをぼくは知っているのだけれど、なんだかそれをしたくないような気がしていたんだ。まあ、もうそろそろ寝ますよ。




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経口補水液よりも「あれ」の方が風邪に効くのか?!

daily life 】 2011 / 08 / 21
2日にわたる39度超の高熱との戦いも今朝になれば37度、その後も平熱へと下がり続け一安心した衰弱堂。

しかし病魔はそれほど生やさしくはなかった……。

再び訪れる、寒気。またしてもヒートテック着用。布団をかぶって寝る。起きたら何だかかなり熱っぽい。

検温……39.6度だあ?! なんか、心なしか指先が震えている気がするんだけど。おれもうほんと長くないな。で、経口補水液を2杯。しかし、飲みながら気がついた。

汗が全く出ていない。

えーと、よくわかりませんけどね、高熱を発している。だから大量に水分を摂取して発汗による体温低下を目論んでいると。でも、汗が出なきゃ熱下がらないんじゃ? ん、発汗? まてよ?!

あれがいっぱい残ってるじゃないですか、あれが。

じゃーん。




そう、「1日に100kmも移動できるスズメバチの秘密は脂肪の代謝方法。スズメバチから学んだ独自素材V.A.A.M.配合」でおなじみのヴァームです。あれ、VAAMjpを見ると、もうスズメバチとか言ってないんだ。

で、なぜこんなものが我が家に?! 3年くらい前にウォーキングブームが来ていた頃に箱で買ったまま余していたのですよ。よく見たら2年前に賞味期限が切れてます。えー、銀の袋に個包装されてるんだし問題ない問題ない。こっちはどのみちはなから命がけだしね。

VAAMについて言及しているのはどうやら2008年7月の「歩くことについて語るときにぼくの語らないこと」のようだが、確かにここでぼくはVAAMの重要な特徴について語っていない。まだ飲み始めたばかりの頃で知らなかったともとれる。

VAAMは発汗量がすごいんですよ。同程度の負荷をかけても、毛穴の奥からじわじわと滲み出すかのように汗が出ます。これ飲んでジップロック氷嚢で頭冷やしてヒートテック着て寝てれば汗もかくにちがいない。

で、0時前に起きてもう一度VAAM飲もうと思ったんですが、そんなに汗はかいてないんですよ。ところがこの机に座って検温をはじめると、なんだか全身から汗が吹き出す感覚。これほんとに民間人が利用していいものなんですかね。その時点で37度、いま測ったら36度台で頭重感はありつつも芯はだいぶしっかりしてきた感じなので、「経口補水液の達人」などと称して油断したがゆえに招いた増悪を反省したいと存じます。さて寝るか。



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4月1日用エントリがなくなった

daily life 】 2010 / 04 / 01
 えーっと、間違い電話で起こされたのですが、いつ寝たのか記憶がありません。

 で、寝る前に、「エイプリル・フールだし普通に更新するかぁ。衰弱堂雑記は更新されること自体が嘘みたいなもんだしな」と思って久しぶりにxfy Blog Editor LEを立ち上げてエントリを書いたんだすよ。

 で、いま見れば愛機ThinkPad T42はなぜか再起動していて、書いたものがすっかり消えてます。影も形もない。書いたよね? 確か「AMD Socket AM2の思いがけない死角」ってタイトルつけて、結構なボリューム書いたよね。でもクライアント側に残ってないし公開もされてない。

 どういうこと?!

 いや、ほんとにいつの間に寝たんだろう、自分。久しぶりに寝落ち。しかも、ちゃんと寝床に入って寝落ちしてる。セーターは着たままだったけど。TwitterのTLで自分の発言を確認してみたが、書いている途中につぶやいていないので推定寝落ち時刻も確認できず。なんか夜中にお腹空いてパン1枚焼いて、ゴミ出ししてコーンスープ缶を買って一緒に食べようとしたらもうそんなものは自販機に入ってなくて、しかたないのであきらめてホットコーヒーを買ってパン食ったような。うーむ。

 内容を思い出してみるに、たぶん2/3くらいまで書き終えていた気がする。〆の着地点をどこにするか、というかエイプリル・フールとの関係をどう切り結ぶかで悩んでいたような気もする。内容自体はSocket AM2のリテンション欠けの話なんでほとんどの人は興味がないと思います。

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タグ: diary

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