眼は未開の状態にある

essay 】 2009 / 09 / 21
 はじめて手にした一眼レフ、父親が使っていたNikon F2 Photomic ASはマニュアルフォーカスで、それを初めて借り受けたぼくは、洋裁をしていた母が使っていたトルソーを自宅の階段の踊り場に上げて、2階から見下ろしで写真を撮った。

 顔も手も足もないトルソーは、にもかかわらず/それゆえに、どこか官能的だ。

 ぼくは正しくモノを見ていないのだろう、ということを初めて知ったのは現像されてきたトルソーの写真を見た、あのときだ。その写真は、ほんの少し、ピントが合っていなかった。

 しかし、ほんとうに正しくモノを見るとはどういうことなのだろうか。ピントが合っていないこと、それは正しくないことなのか。あれから限りなく、気まぐれに、様々なデバイスでシャッターを切ってきたけれど、いまだにぼくにはよくわからない。
 とはいえ、あの当時のぼくにとっては少なくとも正しくないことだった。それでNikonのカメラにレンズ側でオートフォーカスする機能を搭載したトキナーのレンズを買ってとりつけた。きれいにピントが合ったけれど、今にして思えば、そうしてきれいにピントがあったイメージが常に表現として正しかったのかといえばそうではない気もする。

 PowerShot 710ISを持ってときどき写真を撮る。普段は持ち歩いていないから、ほんとうに気が向かなければ写真は撮らない。撮りためた写真を少しずつ、加工して雑記にアップしている。これはもうある意味ほんとうにアリバイづくり以外の何ものでもなくて、「今日も更新した」という偽りの達成感で自分をいいくるめるための営みでしかない。それでも、ごく一部には、そんな写真を楽しみにしてくれている人がいて、ああ、そろそろまたヘンなものを探しに行こう、という気にもなる。

 PowerShot 710ISで一つ残念なのは、マニュアルフォーカスがないことだ。ちゃんと取扱説明書を読めばあるのかもしれないけれど。それでも、ある日撮影した一枚は奇妙なところにピントが合っていた。

untitled #037
 (untitled #037)

 オートフォーカスカメラはセンシングして対象との距離を測定し、適切な焦点距離でシャッターを切れと指示を出す。このとき愛機は目の前で重なり合う葉を通り越して、その奥の幹にフォーカスした。それが正しいのかどうかなんて、もちろんぼくにはわからない。ぼくは何を撮ろうとしているのか、いつも理解していないからだ。

 そしてぼくはしばしば、壊れたオートフォーカスカメラのように、目の前の様々な事象にフォーカスしようとしては、時に小さく、ときに大きくピントを外し続けた。モーターはもがくようにジイジイと音を立てて、レンズをおさめた寸胴は伸び縮みして捉えるべき対象を捕捉しようとする。やがてバッテリは無駄に浪費され、動きは止まり、カメラはシャッターを切ることすらできない無用の長物に成り下がる。

 何かにフォーカスし、ピントを合わせること。それは無条件に正しいことなのだろう。躾だとか教育だとか、そうした営みが、絶えざる馴致を通じてそんな正しさを植えつける。

 先週あたりから、薬の減量がはじまった。少しずつ、ぼくの中でのオートフォーカスの精度が上がってきているのを感じる。何を被写体にすべきか、というプロの判断の部分で甘さを残しつつ、なんとかやっていけそうだという感触を頼りに、やけにすんなりと頭に入ってくる本を読み漁った。

 精度が上がると、なにやら色々できそうな大きな気持ちになるのだけれど、これはこれで危険なシグナル。一気にペースアップしないよう、上のギアを使わずに走ったほうがよさそうだ。ようやく、通院は2週間置きに変更された。

 ここまで書いてみて、いまさらのように、ピントがはずれる、ということはないんだということに気づく。それは何かの少し手前、少し奥にフォーカスしているだけなんだ。ずっとぼくは、そんなことをしてきたような気もしてくる。

 そこにあるものを正しく見ようとしないこと、それは必ずしも間違ったことじゃない。現実と真実の狭間で、確かにぼくは、他の誰かにそうとは知れずとも、常に何かにフォーカスしつづけてきたのだから。

 ピントを合わせることが重要なんじゃない。何にフォーカスするかが、あなたの営みの価値を決める。像がにじんでいても、それは確かにそこに切り取られて、目の前に置かれる。見る、という馴染み深い行為に対して、ぼくたちはほんの少しも理解してはいないのかもしれない。眼は、未開の状態にある。





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死者のblog

essay 】 2009 / 08 / 22
 ずっとこの話題について書こうと、Remember the Milkの中に放り込んだまま、気がつけば1年以上経っていた。それはなんだかぼくが取り扱うとどこか不謹慎になる気がしていたこともあるのだけれど、書くことの重さに耐えるだけの強度がぼくになかった、という気もする。

 markya3936さんの「肺癌煩悩記」、というblogがある。blogのディスクリプションには「40歳で職場の健康診断から肺がん(腺癌T1N2M0→その後治療に入る前に肺内転移発覚M1=4期)が発見された人間の顛末を記す」とある。

 オンラインゲームで知り合った友人T氏(彼については別の名前で本雑記に登場しているはずだが、ここではあえてT氏とする)に紹介され、喫煙者として、さほど真面目に受け取らず、斜め読みをした記憶がある。死を前にしたmarkya3936さんは、起きたことを丹念に拾い上げつつ、深刻でも軽薄でもない、人としての輪郭をしっかりと保ちつつ、淡々と書き続けていた。日々増悪する病状を軽妙なレトリックに包みながら、自分が自分でなくなっていくことを意識しながら、なお自分として書き続けられたそれを、ぼくはRSSリーダに登録し、時々読んでいたと記憶している。

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のがれえぬもの

essay 】 2009 / 04 / 04
記憶は次第にけずられ、あるいは磨きこまれ、それでも内に残る。ときおり、不意に還り来るそれは、苦渋であったり微笑であったりといったかたちで表情筋を動かす。

三島由紀夫の「仮面の告白」の中に、もっとも古い記憶の話だったか、産湯につかった際の、金盥の放つ光、の話が出てくる。この記憶が真実なのか、文学者の創作にすぎないのか、その答えを読んだ記憶はない。

ぼくがうまれたのは横浜の、海からは遠い大船というところで、木造平屋建ての借家で育った。のちに父が家を買い、幼稚園の年長のときに引越しをしたので、4歳か5歳までそこにいたのだろう。もちろん産湯の記憶はない。隣家との間は狭く、細い庭にはモグラがいた。家には鉄籠のネズミ捕りがあった。

家の前は小高い丘で、木々の間に子供が通り抜けられるくらいの細い道があった。ネズミ捕りを持ち出して、丘を登り、斜面をネズミ捕りで滑り降りたのが、もっとも古い記憶だろうか。丘の上には畑があり、老いた男に怒鳴りつけられて慌てて逃げた記憶もある。当時、近所には年の頃も同じくらいの友人がいたはずだがそのことはまるで覚えていない。

家から少し歩いたところに三井の工場があって、白壁がずっと続いていた。見えない壁の向こうに、何度か小石を投げた記憶がある。最初にして最後の我が社会運動である。いったい、工場は悪、などという思想を、彼はどのようにして手に入れたのだろう。笑い。

工場の白い壁は幼いぼくにはひどく高く、壁に沿って歩くと木造の橋がかかった細い川があって、川向こうには国鉄のグラウンドがあった。川の左手には雑草が生い茂り、その先には廃屋があった。あれは、いったいどこだったのだろうとふとGoogleマップで検索してみるが、月日は流れ航空写真に映し出される家とビルはもはや何をも伝えない。かろうじて、JR東日本の社宅が見つかったが、その周辺はマンションが立ち並び、小川は埋め立てられてしまったのかそこにはない。

ぼくには故郷はない。

その代わりに帰りうる場所としての、闇の話をしよう。

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ふるさとはない

essay 】 2008 / 10 / 13
17時になると、「ふるさと」のチャイムが流れるのは東京都のきまりごとなのだろうか。住んでいる豊島区がそうなのだけれど、職場がある港区でも気づけばいくどか耳にしたはずだ。長く暮らしていた横浜にいたころには聞いた覚えがない。

それにしてもあのチャイムはどこから響いてくるのか。家にいても、会社にいても、どこか遠くからそれはくる。いまぼくにとって、17時という時刻にはこれといって意味を見出せないし、なぜ「ふるさと」を聞かされねばならないのだろうと少し考えてみるが、これといった理由をひねり出すこともできそうにない。それは街角のどこかで動き回る子供たちに向けられたものか、店仕舞いする店主たちに向けられたものか、家路を急ぐものたちに向けられたものか。

それにしてもなぜ「ふるさと」なんだろう。夕刻、ふと家庭に意識を振り向ける瞬間には「ふるさと」がよく似合うということなのか。確かに、東京だからという理由で東京音頭を流されるのもいささか鬱陶しい。とはいえ17時という時間に東京に、少なくとも豊島区と港区にいる人の心中にふるさとを呼び覚まそうとする努力はどこか的外れで間が抜けている。

暮れ方、商店街を駅にむかってとぼとぼと歩いていると、脇を二人乗りの自転車がゆるやかな速度で通り過ぎる。自転車の荷台に腰掛け、男性の腋の下に手を当てた、髪を栗色に染めた若い女性が「ふるさと」のチャイムにあわせてハミングしている。彼女の視線は行く先とも自らが縋る男性とも定まらず、かといってどこかにある、ふるさととやらを思い浮かべている風でもない。彼の山も彼の川も像を結ぶことなくただ響きの上に別の音が重ねられ、ゆっくりと遠ざかる。

そうだ、ふるさとはないんだ。ぼくには、もはや生まれ住んだ家はないのだ。根を絶つようにしていまここにいるぼくには帰るべき場所はない。それは断固たる決意としてそうなったわけではけしてなく、気がつけばぼくは漂うままにここにいるけれど、一面、若く幼い日々にそうある自分をうっすらと思い浮かべてもいたのだ。望んで、いまこうしている。浮かぶ瀬のある限りこのままだろう。いったい、人は、自分が望みうる程度のものになるということなのか。

そんな他愛のないことを思いつつ、独りユニクロに細めのズボンを買いにいった。




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乱麻 4/5

essay 】 2008 / 09 / 08
最近どうでもいい話を書いていない気がするので久しぶりのエントリながら流すことにする。もうタイトルからしてどうでもいい感が充満し実にほどよい感じである。ほんまかいな。

暑かった8月がいつの間にか過ぎ去って、気づけば雨また雨である。雷鳴轟き洗濯物は溜まる。涼しくなったのかと思いきやたまの晴れ間に日は強く差す。風邪を引き、夏負けし、ずいぶんウォーキングの回数が減った。SUUNTOのPC PODでデータをこのPCに転送しているのだが、7月が25回で23時間30分、12700kcalほどだったのが、8月は12回で9時間40分、4800kcalと質量ともに激減。9月もここまで3回。少し気を引き締めてまた歩きますか。


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