森恒二「ホーリーランド act.182 伝説 〜Legend〜」

comics 】 2008 / 05 / 25
雑誌に連載された、少なからず愛着を感じている作品が終わりを迎えるということ、それは幸せなことなのだろうか。発売日になると続きを読みたいと思い、手に取る。その瞬間の喜び。そして読み終えたあとの、次の号が発売されるまでの、期待に満ちた時間。そうしたものが、突然、失われるのだ。

物語にはかならず結末がある。しかし、少なからざる作品があるべき結末が描かれる前に作者や編集者、出版社など送り手の事情により、結末を迎えることなく突然の中断を余儀なくされる。

そう考えれば、最終回を手にすることを喜ぶべきなのだろう。しかし受け手は、「もっと!」というシンプルな欲望においてその瞬間引き裂かれる。

8年間にわたりテンションを落とすことなく、森恒二という、名も知らなかった作者により、隔週発売のヤングアニマルという地味な雑誌で182回にわたって書き継がれてきた「ホーリーランド」が、今週発売号でついに完結した。



巻頭カラー増ページ、この雑誌、今まで買ったことがなかったが、極上の作品を真摯に送り届けてくれた作者へのささやかな感謝の表明として謹んで購入。白泉社の営業の方、まあ当然お分かりとは思いますけど、今週発売号の売れ行きは間違いなく森先生のおかげです。少なくとも1冊は間違いなく。笑い。

それにしてもヤングアニマルというのは変な雑誌である。編集長のインタビューがあれば一度読んでみたいものだ。「ホーリーランド」のほかにも骨太な長期連載作品、三浦建太郎「ベルセルク」があれば、「ハチミツとクローバー」の羽海野チカが将棋の棋士を主人公に描く「83月のライオン」もある。そして特別付録DVDには「女子高生のひみつ」なんてのが付く。巻頭グラビアは毎月のように小倉優子が登場する。買いにくいんだよ! 羽海野チカのファンは別に「女子高生のひみつ」とか興味なくね? 「ベルセルク」の若年ファンは意外に好きかもしらんが。そうなのか?

さて、「ホーリーランド」が、森恒二の思うところで完結したのか、それはわからない。キング編以降の性急な展開はなんとなく外的な制約の存在を感じさせもする。しかし、最終回を読み終えた今、この終わり方でよかったのだと思う。最高だ。

※以下のエントリの続きにおいて、最終話の内容に一部触れている。これから読もうとしている人にはまず先に作品にあたってほしい。このあと単行本で読むために待っている人には最終18巻が2008年7月29日に刊行予定になっているとのみお伝えしたい。以前、「森恒二『ホーリーランド(8)』(白泉社)」というエントリーでこの作品に触れたのが2004年12月だから、そこからすでに3年半。2005年にはドラマ化され、もはや<名も知らぬ作者>というのも失礼ではある。いや、ドラマ化うんぬんではなく、この作品が完結したいま、「『ホーリーランド』の森恒二」としてその名はぼくの中に確かに刻まれた。誰もがたどりつけるわけではない場所でひとつ大きな仕事を成し遂げた者として。

さて、書くべきことはおそらく以前のエントリーともそうかわらない気はするが、この完結をひとつの<事件>として書き留めておきたいという誘惑に従っておこう。
子供世界と大人世界の間
そこにホーリーランドは存在する
甘やかな法と
暴力のリアルが支配する
隔絶された世界
その世界に──彼はいた
神代ユウ
彼は確かにそこにいた

 森恒二「ホーリーランド(1) act.1 少年達 〜Downtown boys〜」
冒頭、トーンの貼られた薄暗いモブシーンに、白抜きで書かれた微妙にフォントサイズを変えて乗せられているこの言葉の向こう側に、頼りない視線で振り返る主人公の神代ユウが、一人白く浮かび上がっている。はじめて読んだとき、この微妙な語りにはひどく違和感を感じた。しかし読み進めるにつれ、この微妙な立ち位置にある語り手の存在こそが、「ホーリーランド」を特別な作品にしていることに気づく。おそらく森はかつてそこにいながら、大人になることを余儀なくされたものとして、ときに作り手として、ときにその世界を見守るものとして、また作中の人物の一人として、繰り返し作品に向かって語り続ける。この思いの強さこそが、「ホーリーランド」の持つリアリティを構成する要素の中でもっとも重要なそれなのかもしれない。

学校でのいじめから家にひきこもり、家族の冷ややかな視線にやり場のない憤りを抱え、生きることをやめようとして叶わず、暗い部屋でひたすら拳を振り続けた主人公が、下北沢や吉祥寺といった街の中で、ぶつかり合い、つながり、離れ、さらに思いを分かち合おうとする大きな流れの中で、この定置されざる語り手は常に何かを語り続ける。時に作中人物のモノローグとして、ときに格闘技のテクニックに精通するものとして、ときに人生の先輩として、作品の中へ、外へ、語り続ける。

<対戦−敗北−修行−リベンジマッチ>という、「ドラゴンボール」的なドラマツルギーだけでは捉えきれない何かを生み出すのは、この声なのだ。

そうしたさまざまな声の中でも、個人的に特に印象深かったのは7巻の『act.63 信仰 〜My God〜』における作者自身の告白。

街の中でのタイマン勝負に勝ち続け、次第に存在感を強めていた主人公はある日を境にその拳の力を失ってしまった。その姿に愕然とした、戦いを通じて友情を結んだ緑川ショウゴが、崩れたフォームを矯正したとき、再びその拳に力が宿る。神代ユウが彼自身であることの証としての力。そして作者はこう語る。
唐突だが僕(作者)にも欠けては
ならないものを喪失った経験がある

読者の皆さんにもないだろうか

僕は20歳の頃 いろいろな
事があって 子供の頃から
普通にやっていた
"マンガを創る"という能力を
突然 失ってしまった
プロになろうと研鑽していた
時だった

違う道を歩いていたが
あるきっかけで ふいに
その能力が戻った が

その時は7年もの
時が経っていた

まわりの助けもあり
今はこうしてマンガを
描かせてもらっている

しかし
その7年間 僕は
喪失感から逃れ
られた日は

一日もない

 森恒二「ホーリーランド(7) act.63 信仰 〜My God〜」
これほどまでに痛切な作者自身の言葉は、コミックの世界ではおよそ見出せない。たぶん、ぼく自身がある時期を作り手として生きようとしてなし崩しに今ここにいるからこそ、余計にこの言葉に打たれたのだと思う。しいていえば、信仰を持たないこと、自身ではないことにおいてぼくたらんとした男は、幸か不幸かこうした喪失感を味わうことはなかった。およそ人は、満たされていなければその欠けたるところを見ることはできない。ぼくはこのわずかなテキストにおいてなぞられている森恒二の生き様を読んだ瞬間、静かに揺れたような気がする。

かくして再び拳に力を宿した主人公は、その力への信仰を頼りに不器用に街を生き、かつての伏し目がちに歩くか細い少年は、街の代表として認められる存在へと成長する。そして最終話の1つ前のact.181(立ち読みのため章題忘却)。

かつて不良にからまれているところを助けた後輩、かつての自分とよく似た少年に唐突にナイフで腹を刺され、神代ユウは、壁際で力なく崩れる。

巻末の『次号最終回』といった文言を見て、驚いた。この物語は、どう決着するんだ? 神代ユウは、死ぬのか? 街で出会った戦友たちとともに、街を卒業して、より大きなステージの上で再会するんじゃなかったのか?

これほどまでに、続きが気になったのはいつ以来だろうか。

最終話、時は流れている。"路上のカリスマ"こと伊沢マサキのタイトルマッチの控え室には街の仲間たちが集まっているが、神代ユウの姿はない。神代ユウとの不器用な友情の果てにすれ違い、過ちを犯してしまった緑川ショウゴは少年院を出所間近、トレーニングに余念がない。塀の中と外とに別れを余儀なくされてもなお親友から届いた手紙の約束が、彼を支えている。約束を果たす日がきたことをかみ締める表情は決意に満ち、かつての幼さはない。そして彼、神代ユウは?

最後の語りを引こう。
大人世界と
子供世界の間

ホーリーランドは
存在する

彼の地を去る時
人は聖地を胸に宿す
時に忘却の彼方
しかし誰もが持つ 聖地
そこに──あなたは いた
確かにあなたはそこにいた

 森恒二「ホーリーランド(18) act.182 伝説 〜Legend〜」
あまりにも鮮やかな幕切れ。静かで、そして力強い終結。森恒二の8年182回に及ぶ旅路の果てを祝福したい。新たな船出により多くの期待を抱きつつ。ありがとう。


(追記:2011年10月5日)
いまだにこのエントリを見てくれる人がいる。とてもうれしい。と同時に、どうも最終話で神代ユウは生きているのか死んでいるのか、をつかみそこねている人が少なからずいるようだ。

これは蛇足だし、説明することで作者の森恒二さんが喜ぶとも思えないのだが、あえて書けば、最終話の神代ユウは生きている。

『Act.178 答え〜Answer〜』の中で、ユウは街での最後の伊沢マサキ戦を前にシンに語っている。
地方のジムとかも見て来ようと思ってる…ヨシトさんが系列のジムに話してくれるって
神代ユウは、一旦街を出たのだろう。そして、マサキの晴れ舞台のその日に、自分の原点である街に帰ってきた。マサキ、ショウゴ、ヨシト、同じ道を行く者たちの道はまだ完全には交わっていない。

ユウは、ショウゴを待っている。あの街で、待っている。

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この記事へのコメント
私はあなたがテクストに指を動かす瞬間を今でも待っている。この先にも待つのだろうとも。繋がらなくとも、誰にも褒められなくともキーボードを叩くだろう。押し込められても。私にはあなたを読んだということが到底かない様もない余人に説明しえない起源で、消しようのない本音だ。
Posted by z6 at 2015年12月09日 20:19
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