「宮島達男 | Art in You」(茨城・水戸芸術館現代美術ギャラリー)

art 】 2008 / 03 / 02
何を血迷ったか、不意に、水戸芸に行くぞ、と思い立った。1990年の開館とあるから、ちょうどぼくが現代美術にコミットしていた時期に不意に現れた施設のひとつだったのだが、当時横浜に住んでいた身からすると、水戸は遥かなる場所で、足をのばそうという気にならなかった。宮島達男の仕事をまとまって紹介する「宮島達男 | Art in You」が開催中で、なんとなく興味が沸き、職場のサイボウズのスケジューラに土曜日の予定として書き込んでおいた。

なんでわざわざそんなことをするかといえば、「行くぞ」と宣言するくらいでないと面倒くさくなって行かないからである。衰弱堂を知っている人ならわかると思うが、彼は極度に活動量の少ない人間だ。旅行なんてものは首根っこをひっつかまれでもしなければ行きやしない。そんなことをするくらいなら、家で本を読んでいるか惰眠を貪っているほうがよほど有意義だと思い込んでいるわけである。

池袋から水戸へ行くのは、ちょっとした旅行だった。

上野から特急で1時間半、片道4020円。ずいぶん金がかかるものだなと普通料金を見れば、日暮里経由で常磐線に乗り換え2時間20分、2210円。半額になった。すると銀弾丸氏が「東京からバスが出てるんじゃね?」とのたまう。なるほど、水戸芸術館の「交通のご案内」にそう書いてありますな。東京駅からだいたい1時間に1本、水戸駅よりも水戸芸よりの「泉町1丁目」という停留所まで1時間47分、2080円。これか。

暦は3月。二度寝していたら11時過ぎ。バスの時刻表をよくよく見ると、13:10発で着くのが15時頃。これに乗れないともう何をしにいくやらわからない時間に着く。急いで準備をして12時頃家を出る。昼ごはんを食べる時間はなさそうだ。東京駅で降りて八重洲南口へ行く途中におにぎりと午後の紅茶ミルクティを買い込み、切符を買ってバス乗り場でしばし待つ。長い列ができている。

女性運転手が操る左右2人掛けのバスはやや狭く、窓側の席に身体をなんとか収めると、横に誰も来ないまま走り出した。物珍しげに窓外を眺め、おにぎりを食べ、ミルクティを飲んでいると、バスは高速に乗った。本を読んで、少し眠る。

高速を降りて水戸市街をゆっくりと進み、かなりうんざりしてからなお時間をもてあまして、ようやく泉町1丁目。バスを降りて裏道に入ると変わった景色が目に映る。

ART TOWER MITO

……どう見ても、あれだよなぁ。まっすぐ歩いていくと、広場に出た。

広場

鬼ごっこをする、高校生らしき男子生徒たちの声が聞こえる。奥に見えるのが、「Art in You」の看板。案内がなくよくわからぬまま、磯崎新が設計したとかいう建物に取り付いてうろうろして、ようやくここが裏庭で表から入れという案内を見つける。エントランスで入場料800円を支払ってチケットを購入し、かばんをクロークに預け、展示会場の現代美術ギャラリーへ。

2階に上がる途中でチケットの半券を渡すと、再入場は何度でも可能ですと案内。展示会場の前で展覧会のチラシとは別に、A3二つ折りの簡単な出展作品案内とその作品が置かれている場所を示すギャラリーマップが印刷されたコピーを受け取る。いずれも大したことではないけれど、市民のためのアートスペースとしての意識を感じさせる。

さて、ここまでやたら長々と個人的な旅について語ってきた。では、宮島達男については?

今回の展示では、
  • 《Death of Time》

  • 《Counting in You》

  • 《Counter Skin》

  • 《C.T.C.S. with You》

  • 《HOTO》

  • 《Performance Drawing》

  • 《Death Clock》

  • 《Peace In Art Passport》

  • 《Peace in You》
の9シリーズが飾られていた。

冒頭で、「宮島達男の仕事をまとまって紹介する「宮島達男 | Art in You」が開催中で、なんとなく興味が沸き」、と書いたのは偽らざる心境だったと思う。そう、なんとなく、なのだ。ぼくは彼が現代日本美術を代表する作家の一人であることを認めるし、その仕事にも注目してきたつもりだったけれども、それほど積極的にフォローしてこなかったことに気づいた。なんとなく、というあたりにはその辺のぼく自身と彼の作品との関係を一度整理しておこうという機制が働いていた気もしなくもない。

最初の展示室の、彼の代表作のひとつ《Death of Time》の前に立ったときに、ようやくぼくは宮島達男の作品が好きではないということに気がついた。これは個人的にはすごく驚きだった。一度もそんなことを考えたことがなかったからだ。暗闇の中、壁3面、高さ30センチあたりに並べられた赤いLEDカウンターを見つめながら、「タネの割れた手品よりもたちの悪いもの」、といったような言葉を思い浮かべていた。

宮島のLEDカウンターを使用した作品には初期の頃から変わらないコンセプトが掲げられている。例の
  • それは変化し続ける

  • それはあらゆるものと関係を結ぶ

  • それは永遠に続く
という3つの言葉がそれである。

ぼくが最初にこの言葉を目にしたのは1989年4月発行の「WAVE22■特集■アート新世紀」(ペヨトル工房)だと思う。1983年、画廊パレルゴンでデビューし、1987年からデジタルカウンターを使った作品を発表(この年の個展はサントリーアートボックスとルナミ画廊の2回らしいのでそのいずれかだろう)して以来およそ20年近く、彼はこのコンセプトを下げたことがないと思う。

この3つの言葉と、「カウンターは0を表示せず消灯する」というルールのみで、宮島の作品は時に何かに捧げられつつも、無意味にカウンターを回し続けてきた。なぜ無意味か? そこにある数字は、例えば河原温の「百万年過去」(ルーズリーフによる作品で、1ページに500年分の西暦が過去2000年分タイプされている)のように何かをスケールしないからだ。それは絶え間なく変化するが、1から9、もしくは9から1が繰り返されるだけで、いかなる増減も示しはしない。見慣れたカウンターは、数字である必然性をまったく帯びてはおらず、なにも代表しはしないのだ。

この無意味さが生成される文脈は極めて思弁的であり、本来そうしたものが好きであるにもかかわらず、それはぼくを苛立たせる。わかってしまえば、ぼくは宮島達男の作品の前に立つ理由を失うのだ。そんなことをしなくとも、頭の中で、変化するLEDを思い浮かべればいいだけなのだから。本物にはかなわない? ぼくの体験は、本物を前にしても何も変わりはしなかった。

おそらくはそんなことをまとまらないまま考えつつ、モチーフとしてのカウンターが手を変え品を変えて現れるさまをゆっくりと眺め続けた。

新作の《Counter in You》は現地制作で直接ギャラリーの壁に描かれたドローイング。絵具をコントロールしきれずに見苦しく下に垂れていた。1点、描きそこなったのか壁全体とのバランスが崩れていたためかはわからないが、消し痕が残っている。

《Counter Skin》は国内4箇所のワークショップで作られた写真作品。モデルに好きな数字を選ばせ、その数字をボディペインティングして写真に収めたもの。変化し続けないという点で、コンセプトとして失敗だろう。一方、同じワークショップで作られたものなのだろうか、《Death Clock》はMacのディスプレイにモデルの選んだ写真が大きく映し出され、その上で本人が申告した死亡日へのカウントダウンが行われるもの。この作品も単にカウンターフォントを用いているという以上の意味づけは乏しく、永遠ではないという点で軸がぶれている。

《Performance Drawing》は初公開のドローイング。見ると「'95」といったサインがあったので1995年頃の制作か。かなりすっとぼけた線描で描かれた人物と叫びのような詩がカウンターへのオブセッションを感じさせる。これは悪くはないが、この作品単体でどうこういうレベルでもない。

高さ5.5m、直径2.2mの立体に様々な色・サイズのLEDを取り付けた《HOTO》はその巨大さに比して驚くほど印象は薄い。

(なお、展示スペースの様子は「水戸芸術館現代美術ギャラリー [ 宮島達男 | Art in You ] blog」に写真が2点掲載されている)

おそらく、ぼくはもう宮島達男を見るためにアートスペースに行くことはないだろう。それは、ぼくにとっては必要のないものだとわかったからだ。なんとなくテンションが落ちた状態で出口に向かおうとして、もらったギャラリーマップを見たら、クリテリオムで飯田淑乃の展示が行われていることに気がついた。まったく気づいていなかったのでこれもまた驚き。

CASでの展示の噂は小耳に挟んでいたが、吹き抜けの周りを巡って展示スペースまで歩いて行って一瞬呆然。地方の観光地の土産物屋にあるようなど派手な幟が立っており、およそ美術館では耳にすることのないようなおかしな歌が聞こえてくる。

飯田は「ごけんゆかり」という架空のキャラクター(うたのおねえさん風、ごけんは水戸芸術館の位置する水戸市五軒町に由来)に扮して、モニタの中で、納豆とチーズから生まれた新しい食品「なっちぃ」の宣伝のために、手に納豆キャラクターのマペットをして、子供教育番組風の本人作詞のばかげた歌を歌っている。

会場には風船でデコレーションされたモニタのほか、商品パッケージサンプル、幟、ポスター、テーマソングのCDが置かれ、そこにはアートスペースのアトモスフィアは微塵もない。地方産品のハイパーリアリズムだから、見た目が極めて安っぽいのだ。

CASの展示をキュレーションした浅井俊裕氏が水戸芸術館現代美術センターの主任学芸員なので、その流れで今回の展示になったのだろうが、これをあえて宮島達男の横でやろうとしたのか、という点について妙に勘ぐりたくなった。

浅井氏が解説でポップアートとの関係性について言及しているように、ご当地アイドルがそれっぽい歌を歌う、というフォーマットは一見、コミックのキャラクターや大量生産品をモチーフにしたポップアートと近い。しかし、飯田淑乃の作品を見れば、ポップアートでさえもが、ファインアートとの間に巧妙な共犯関係を築いた上で地歩を築いていることを否応なく思い知らされる。技術を個の美学の再現に向けて駆使することがアートなのだとすれば、彼女の作品からはアート性はうかがえない。にもかかわらず、大衆文化をリアルに再現しようとする意志とそのフォーマットの徹底性において、そこにあるものをぼくはアートの範疇に繰り入れざるを得ないのだ。デュシャンから出たポップが、やんちゃになってデュシャンに遡行しているにもかかわらず、見た目はチープ。底知れない悪意といわざるを得ない。

そして、宮島がカウンターというモチーフに執着してひとつの極みに到達した一方で、それを異なるフォーマットに展開しようとして失敗している(とぼくには見えた)のに対して、飯田には中心的なモチーフもコンセプトもなく、ただフォーマットだけがそこに横たわっている。宮島の意味ありげなマテリアルの向こうには無意味があり、飯田の無意味なフォーマットの向こうには悪意がある。故意にせよ偶然にせよ、この2人を同じ時に同じ場所に置いてみせたことをぼくは評価したい。

「Art in You」のカタログは制作中らしく3月下旬発刊とのことで買えず。およそ1時間ちょっと滞在して、ぼくは水戸芸を後にした。水戸駅まで、歩き、バスの狭さがなんとなくいやで、電車に乗って帰ることにした。水戸始発の各駅停車に乗ろうとしてホームに行くと、扉を閉ざしたまま電車は止まっていた。缶コーヒーを飲みながらしばらくして、扉の横にボタンがあることに気づいた。よく見ると、中に人が1人座っている。手動なのか……インタラクティブである。笑い。堅めの椅子に腰を落ち着けて発車を待っていると、次々に人が乗り込んでくる。どうやら乗ったらドアは自分で閉めるものだったらしい。本を少し読み、居眠りをした。いくつか、地図でしか知らない地名のついた駅を過ぎて、職場に持っていくみやげを買い忘れたことに気づいた。ごめんなさい。笑い。


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Comment(4) | TrackBack(0) | art

この記事へのコメント
「あえて」だと思います。

浅井さん、妙にうれしそうだったし。w
Posted by SASA at 2008年03月03日 10:54
SASAさん:

「あえて」、ですか。浅井さんのブログにもこっそり登場している消息筋からの情報だけに信頼できそう。ありがとうございました。笑い。

……だとすると浅井さん、ワルい人だなぁ。微笑。

Posted by 衰弱堂 at 2008年03月04日 00:06
今回の水戸の展覧会、あちこちに書かれているブログを読んでいるとおもしろいですね。

宮島作品についてはそれこそフォーマットについてしか書かれていないのに、飯田作品には、かなり色々な方向から言及されているような。

帰りには皆頭の中で「ね〜ばね〜ば♪」


まあ、浅井さんによれば飯田は「戦略の無い美少女戦士」らしいから。w

http://kanazawa-calendar.com/
Posted by SASA at 2008年03月04日 13:47
ちょっと検索してみましたが、宮島展は規模の割にはあまり語られていない気もします。数の問題ではなく、書いている人の踏み込み方として。

それはたぶん、語らせるに足る何かが不足していて、事態はおよそ"Art in You"とは真逆な感じもしますが。

|帰りには皆頭の中で「ね〜ばね〜ば♪」

これを読んで気づいたんですが、飯田作品の音楽って、ぼくにとっては驚くほど残らないんですよね。YouTubeの大須あかね

http://www.youtube.com/watch?v=R7SJ4i8iz-4

も見てみましたが、驚くほど消えるのが早い。ごけんゆかりはもう全く思い出せない。そうした受容のされようは「ただフォーマットがある」というところから出てきたとする場合、実に正しい気はするのですが、まあどうなのかなあという思いも一方ではあり。

「戦略なき美少女戦士」というのはあまりに大須あかねに引っ張られすぎている感じはします。ぼく的には「信心なきシンディ・シャーマン」とでも言った方が近いのかな、と。微笑。
Posted by 衰弱堂 at 2008年03月05日 23:43
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