セグメンテーションの幻想

marketing 】 2008 / 01 / 15
最近、自分が怪しいマーケターだということを忘れそうなのでたまにはマーケティングについて語ろう。いや、ちょっと待てよ。語らないからこその怪しいマーケターなんじゃないのか? 余は如何にして怪しいマーケターになりしか? もういいから書くなら勝手に書けよ。

そもそもぼくがマーケティングを意識しはじめたのは、ドン・ペパーズ+マーサ・ロジャース「ONE to ONEマーケティング―顧客リレーションシップ戦略」(ベルシステム24・訳、ダイヤモンド社)をたまたま刊行直後に読んだあたりからだから、駆け出しみたいなものだ(十数年経ってまだ駆け出しかよ……)。

その後、インターネットを利用して特定のセグメントにメッセージをプッシュするサービスに関わり、小さなダイレクトマーケティングエージェンシーで紙やFAX、そしてWebサイトとメールをつかったダイレクトマーケティングに関わり、その後はほぼWebサイトを中心にしたマーケティングとビジネス戦略のつなぎ込みの部分を手がけつつのらくらと今日にいたるのだが、この間、年々疑いを強めているのがセグメンテーションという言葉。

セグメンテーションって、マーケティングには使えないんじゃないか? 少なくともWebマーケティングにおいては。「少なくとも」、といいつつも今日ではWebマーケティングを除外したマーケティング立案などありえないのだけれども。

そもそも、セグメンテーションとは何だろうか。一般的には潜在顧客層をいくつかの条件に基づいて区分けする手法を指す。よく知られているのは小売業における会員顧客のRFM分析に基づくセグメントだろうか。小売店が用意する顧客優待プログラムに登録させることで、誰がいついくら購入したかを捕捉し、Resency(特定期間内で最後に購入したのはいつか)、Frequency(特定期間内で何度購入したか)、Monetary(特定期間内でいくら購入したか)の3軸について、それぞれ適切なサイズでスライスしたランクを用いて、R、F、Mのそれぞれのランクに基づいたセグメントを設定する。このセグメントごとに適切な施策を打つことで最大の効果を得ようとする考え方だ。したがって、セグメント自体には意味がない。セグメントごとに別の施策を打って、はじめてセグメンテーションは機能する。

セグメンテーションとよく似たタームにカテゴライゼーションがあるが、この二つは同じことを指しているのだろうか? 個人的にセグメンテーションは動的な分類でカテゴライゼーションは静的なそれと考える。製品カテゴリーは一般的にカテゴライズされた瞬間から売り手と買い手の間で共有され継続して使われるのに対して、製品セグメントはマーケターの思考やマーケットの反応で常に流動するそれだ。カテゴリーが共同体において支持されるのに対して、あるセグメントの正当性は常に事後的に承認される。現実において、あるセグメントが絶対的に意味を持つことはなく、売り手と買い手が同じセグメントを想定することはありえないゆえ脆い。

セグメンテーションはマスマーケティングからダイレクトマーケティングに向かう流れの中で生まれてきた発想で、その根っこには資源の最適配分への志向がある。例えばDMを顧客優待プログラムに登録しているすべての顧客に発送するとデリバリーに莫大な費用がかかり利益を圧迫することになる。それゆえ、潜在顧客をセグメンテーションし、限られた費用で特定セグメントのみにメッセージを届けることによりレスポンスを最大化しようとする意図を持つ。結局のところ、セグメンテーションは優良顧客の囲い込み以上の狙いはなく、それすらも満足に検証されることはなかったというべきだろう。結果的に費用の圧縮には成功しても、緻密なスプリットランテストによる検証でもなければそれによって成果が最大化されていることを実感する術はない。そしてスプリットランテストによる検証は常に動的に生成するセグメントにおいて将来の成功を必ずしも保証しはしないがゆえに高価につくだろう。

Webマーケティングの黎明期において、インターネットの、売り手と個としての買い手を直結するメディアという特性に過度に着目し、しばしばセグメンテーション志向の取り組みがなされてきた。しかし、よくよく考えてみると成功例は皆無だ。それは、ネットがダイレクトメディアであること以上に、デリバリーコストが極端に低かったためだ。

例えばいま、メールマガジンを特定セグメントのみに送信することで、どれだけデリバリーコストの削減につながるだろうか? それはばかげているというべきだろう。セグメンテーションのための労力と細分化されたリストに基づくメール配信を行う労力を考えれば、オプトインされた全数に同じメールを送るほうが費用対効果が高いからだ。

いまなお、顧客セグメントを設定することでより多くの人に最適の情報を送り届けることができ、成果を最大化できると考えるむきがあるかもしれない。けれどぼくは、それは幻想だと思っている。今必要なのは顧客のセグメンテーションではなく、情報のカテゴライズだ。情報の非対称性が崩れる中で、自らが持つ一次情報をいかにカテゴライズし取り出しやすい形にインデックスできるか、googleやamazonの成功から学ぶところがあるとすればそこにつきる。顧客をクラシファイする必要はない。その分、情報をクラシファイすべきだ。その方が長期にわたってより多くの利益を生み出すと考える妥当性は高い。

ロングテールによる成功の母体は、詳細な顧客セグメントではなく、詳細な製品カテゴリーの設定にある。セグメントとはその結果をどう捉えるかにすぎず、そこから何かを生み出すものではない。ぼくはパーソナライゼーションに対してもいささか懐疑的に見ているけれど、それでもパーソナライゼーションは、セグメンテーションをより深堀りしたところに現れるのではなく、インタラクションを当たり前のものとして受け入れた上での執拗なカテゴライズやタギングの果てにさまざまなカテゴリーが、タグが、オーバーラップした結果浮上するあぶり絵のようなものだろうと思う。

結局、セグメンテーションは、時代のあだ花だったのだろう。






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この記事へのコメント
そうなんだよね。DMのセグメンテーションの検証は意外と難しい。属性は生きているからねえ。たしかに。
Posted by ムラダス at 2008年01月15日 23:04
あー、この変化はまさにムラダスさんが身を持って直面してきたところですな……。DMありきのリードジェネレーションが個人情報保護法施行の流れで後ろ向きになって、ネット勝負を余儀なくされる昨今、いかがお過ごしでしょうか。同業他社の某Zなとこはソーシャルメディアの活用とか微妙な線を爆走している様子ですが。

「属性は生きている」というあたりが、個人的には実は幻影なんじゃないかという気がしてるんですよ。そこのゆらぎを収束させる活動は実は非生産的なんじゃないかと。けれど、このゆらぎを無視してしまうと、もうセグメンテーション仮説自体の有効性自体もあやふやになってしまうと。

そういえば「One to Oneマーケティング」を読み終わった直後に今は懐かしい蓼科行きがあって、ムラダスさんの駆るツーリングワゴンの助手席で熱く語っていた記憶が……。

Posted by 衰弱堂 at 2008年01月16日 00:48
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セグメンテーションの現状。
Excerpt: 下記の衰弱堂さんのエントリ「セグメンテーションの幻想」を読んでの感想です。 結論を先にするとセグメントがWebマーケティングにおいて必要がないことなのかは、そのうち技術によ...
Weblog: dIG iT
Tracked: 2008-01-15 23:20
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