卒業できるかどうかもわからないのに、就職先を探すわけにもいかない。当時よく訪れていた画廊のキュレーターのS氏に「アトリエ」という美術雑誌を刊行していたアトリエ出版社という会社を紹介しようというありがたい申し出を受けながら、やんわり断った記憶がある。「アトリエ」はその当時、かなり現代美術寄りの誌面になっていたが、なんだか奥行きに欠けるという印象を受けた。たぶん「美術手帳」の美術出版社なら、話を受けていたような気がする。かといって、採用された保証はないわけだが。それでも、あのとき前向きになっていたら、あるいはぼくはここでこんな駄文を書いてはいないのだろう。
ぼんやりと大学院に進学することを思い浮かべつつ、かといってそれほど裕福な家庭に生まれ育ったわけでも学問が好きなわけでもなし、気がつけば大学生活は終わり、それに合わせて、週に2回ほど通っていた地元のレンタルビデオ屋のバイトを何となく切られ、自動2輪の免許を取ると仕事を探すことになった。このあたり、いつもなんとなく「それから」のラストの「門野さん。僕は一寸職業を探して来る」という代助の台詞を思い出す。森田芳光の映画で、松田優作が演じていた。
なんとなくでシンクタンクにもぐりこみ、研究アシスタントとして数年過ごした。さまざまなことを深奥に沈めこみ、ようやくやりすごしていたような気もする。目を挙げると、沈めこんだ何かは漂白され、今もすぐそこに浮かんでいるようだ。そうして、たまたま手に取ったニコラス・ネグロポンテ「ビーイング・デジタル―ビットの時代 」(福岡洋一・訳、アスキー)
あのとき、ぼくには不意の倒産による失職だとか、それにともなう給与の未払いだとか、そういった不如意な事態に対する憤りは欠片もなかったような気がする。それはあるいはぼくの生活における無力さの現れでもあるのだけれど、沈み行く泥舟に乗り合わせたクルーたちは一様に陽気で、どこかでそれを楽しむ若さにも十分に恵まれていた。そしてむしろぼくは、そうした事態を変えるための術を持たない己の未熟さを悔いていたように思う。「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」。それは「こころ」の中で、<私>と<K>が口にした台詞だ。無力であることを拘泥しないぼくは一方で、愚鈍であることを恐れていた。あのときぼくは、無力で、そして愚かだった。
局面はおよそ行き着くところまで行き着いてしまっていたわけで、ぼくひとりの能力にどれほどの力があろうと、しょせん無力であったことは今にしてみればわかりすぎるくらいわかる。そして、そのときのぼくは、それすらわからないほど若く、未熟だった。もはや若さを言い訳にできる年齢ではなかったにもかかわらずだ。それは極めて苦い記憶で、ぼくはゆっくりとその苦さをかみしめながら、あるのかどうかもよくわからない『次』のことをぼんやりと思い浮かべた。なしくずしの敗戦を前に立ち尽くし、せっかくありついた何かを奪い取られ、それでも『次』は、負けたくないという薄ぼんやりとした思いが、その後のぼくのありようの幾ばくかを決めたのだと思う。ぼくは使えるのかどうかもよくわからない知識を手当たり次第に自分の中に詰め込んで、相変わらず無力なまま、どこかに向かって歩きつづけた。時折呆然と腰を降ろしたり、ぐったり衰弱したりしながらどうにかこうにかやってきた。
今日ぼくは、あれから10年が過ぎたことを知った。今のぼくがあの場所にいれば、もう少し動けただろうと思う。その1点を除けば、相変わらず無力なのだけれども。
10年前の今日(←1997年12月3日)、当時僕が経営していたハイパーネットは、負債総額37億円(+資本金およそ7億円)で倒産しました。
振り返るより、将来を見つめながら生きてゆきたいと思うけれど、こういう節目には、どうしても振り返ってしまいます。
自らの失敗を振り返り、文章にしたためるときもあった。
仕事も、お金も、予定も無く、ただただ犬の散歩と釣りに時間を費やしたときもあった。
「社長失格」のヒットに乗って、年間数十回の講演旅行をしていたときもあった。
経営者時代に楽しめなかった「お食事会(とお持ち帰り)」に勤しんだときもあった。
いくつかの企業のコンサルティング(?というか経営者のお話相手)が天職なのかと思ったときもあった。
ベンチャーキャピタルこそやりたい仕事だと思うこともあった。
(↑ この12月で、第1号ファンドの期限を向かえますが、当初予定していたほどの利回りを出すことができず、第1号ファンドは解散します。過去業績の無いアーリーステージベンチャーへの投資は難しいと悟りました。)
たくさんの著名人や経営者にお会いした。
たくさんの女性と(時には一晩限りでしたが)付き合った。
結婚した。
その翌年、離婚した。
離婚をきっかけに、ブログを書き始め、現在のセミナー活動に至ります。
この10年、あっという間といえばあっという間ですが、長かったといえば長かった。
板倉雄一郎事務所: ITAKURASTYLE 「あれから10年」


こういうテーマを待っていたヽ(゚∀゚)ノ
私の周囲にも漱石信者が多数いるが、永遠のモラトリアム、高等遊民への憧憬。これって、いったい、いつ、どのタイミングで・・・以下ry
光陰矢のごとし
少年老いやすく学なりがたし
The day is short, and the work is much.
時間よ止まれ!
いや、止まらない
ヽ(`Д´)ノウワァァァン
昨今、強く個人的に感じるのが「気づき」ということの重大性。
時間が愛しくて仕方ない今日この頃。
1年次には、いきなりフリーダム全開!で、取得した単位はわずか4コマ:合計12単位ポッキリ。
金主(親)から、お前、そんなに仕事(アルバイト)が楽しいなら就職して大学辞めろ!ヴォケ!と迫られ、悩みに悩んで、当時絶頂にあった某雑誌編集の仕事を抜ける。
その後勝手にカリキュラムを (中略) 4年次には1年生と一緒に授業を受けるのが相当多数。アフォと思われるのは癪なんで、最前席で受講。同時並行で就職活動。
思えば自業自得。
途中、些細なきっかけでも、心は折れたかも知らぬ。
とはいえ、この経験が「気づき」の原点でもあった。
だが、しかし・・・・・
いまだ、年一回程度、「あっ、1単位落としてますから卒業は認められません」旨の悪夢を、当時の鮮明な映像で見続けている。
慰謝料持っていかれました?
最近のアートをどう思いますか?
板倉さんのプライベートについては、彼のWebサイト上に書かれた以上のことを存じませんし、特に興味もありません、はい。
最近のアートについては10/16のエントリならびにコメント欄を合わせてご覧いただければ。まあ、要は「最近のアート」について語りうる程の経験はありません。そして正直そのことはさほど残念には思っていません。
自分がやっていることは、色々な意味であの頃とあまり変わっていない気がします。
リンクから板倉雄一郎事務所のHPに飛んでみたら、サーバーダウンでページが表示されませんでした。10年前と同じく、サーバーを持って行かれてしまったのでしょうか(笑)
すっかりごぶさたしております。
社長の立場という違いはあれど、財務や経理で社長をサポートするという本業にはぶれがないですね。
板倉雄一郎事務所のサーバ、昨年末から吹き飛んだままのようですねぇ。前にもトラブルあったような。著述業ですから、バックアップは取っておかないと……。
ちなみに本ブログはエントリーのマスタは保存していますが、コメントは保存しておりません。とほほ。