木村剛「戦略経営の発想法」(ダイヤモンド社)

books 】 2004 / 09 / 08
木村剛「戦略経営の発想法」(ダイヤモンド社)を少し前に読了。刊行時、平積みになっているときに「ビジネスモデルは信用するな」の副題で妙に気にかかった1冊。帯には「木村剛初の本格経営書」とあるが、読み終えた後に見ると微妙な気もする。一口に説明しにくい1冊であることは確かなのだけれど。10人の経営者へのインタビューとジョセフ・シュンペーターやピーター・ドラッカーの思考、そして自らの経営者としての経験をベースに著された本書は、理論書ではないし、インタビューでも評論でも自伝でもない。戦略経営というよりは、経営心得? そんな分類しようのなさと、木村剛の持ち味である歯切れのよさだけで、本読みのぼくとしては十分堪能できたのだけれども。
経営書としてみるならば、ドラッカーやさまざまな経営者のエッセンスをコンパクトに伝えている点で損のない1冊なのかもしれないけれど、それならばドラッカーの諸作なり「稲盛和夫の実学 経営と会計」(日経ビジネス人文庫)なりを読めばいいんじゃないかという気もする。しきりに《評論家エコノミスト》を槍玉にあげているのだけれど、経営者って、みんな《評論家エコノミスト》の顔色をうかがって会社を切り盛りしているんですかね?

経済と経営の関係を倒置して、経営者を軸にビジネス環境を語りきろうとするフレームはぼくには新鮮でしたが、徹頭徹尾経営者から語ろうとするがゆえに、「ビジネスモデルは信用するな」の一言がでてくるあたりが個人的に違和感を感じます。ビジネスがビジネスモデルありき、という一時の熱病に対してはぼくも異を唱えるにやぶさかじゃないけれど、やはりビジネスモデルは必要だと思うわけ。誰にとって?

この1冊を読み終えたぼくは、少なくとも経営者にとってビジネスモデルは必要じゃないんだね、という点に同意します。でも、ビジネスを、経営者のものだけにしてしまっていいわけ? ミッションの共有において、経営者と従業員が強く結ばれる、という風景は確かに美しいけれど、一方である種カルト的な強制力を持ってそこに働く人々を支配するさまを、例えば滝本忠夫「京セラ悪の経営術―急成長企業の知られざる秘密」(イースト・プレス)だとか、斎藤貴男「カルト資本主義」(文春文庫)といった作品が描き出してもいるわけです。ミッションなる家訓のもと、家族的な紐帯によってビジネスをドライブしていくことこそ経営者冥利につきる、としてもなお、すべての人にとって開かれた美しいビジネスモデルを描ききり、その実現に向かっていく道の方が、実態として同じだとしてもなお健全に『思える』んですよ。美しいビジネスモデルの前には、経営者と被雇用者というヒエラルキーが昇華され、それぞれがる瞬間があるんじゃないかと。経営者に奉仕するんではなくて、ひとつのビジネスに関わる人々の共通言語としてのビジネスモデルの実現に向かってそれぞれのポジションで力を尽くす、と考えたほうが気が楽なんじゃないかなあ。まあ、経営者的にはそんな従業員はむかつくのかもしれませんが。笑い。





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