中学生時代に名将・山田重雄に見出され、大谷佐知代とともに全日本入り。中学卒業後、高校に進学せず山田率いる名門・日立入り(日立のバレーボール部は2000年11月に廃部している)。日本を代表する名セッターとして、ロサンゼルス五輪女子バレーで銅メダル、靭帯断裂を克服して臨んだソウルで4位、92年バルセロナの5位を最後に現役引退。東洋の魔女が一世を風靡した後の、日本女子バレーの黄金時代は世界が恐れた名セッター中田久美とともにあった。
ぼくは別にバレーボールファンではないのだが、目黒の有隣堂で見かけた二宮清純「天才セッター中田久美の頭脳」(新潮社)
表紙は、現役当時の可憐ながら強気な表情で相手コートの左側を見つめる中田のセピア色の写真。帯にはこうある。「あの頃、日本には世界No.1の戦術があった……」。この装丁がなんとなく心を魅くものがあったとしかいいようがない。
本書は二宮と中田の30時間に及ぶ対談を二宮がまとめたもの。二宮はあとがきで「正直に告白すれば、バレーボールがこれほど奥の深いスポーツだとは知らなかった」と吐露しているが、ぼくもまさに同じ思いにかられざるを得なかった。
バレーボールとは、煎じ詰めれば、Aクイック、Bクイック、Cクイック、Dクイックという、どこにトスをあげるかによる単純な攻撃パターンしかない。これらをより有効に機能させるために、セッターは試合を組み立てる、と中田はいう。
中田はまず、センター攻撃から入り、ローテーションを繰り返す間に相手の立ち位置、特にレフトブロッカーの立ち位置に注目するという。センター攻撃で左右のブロッカーの位置を確かめながら、徐々に左右の攻撃を使っていく。相手コートには様々な情報が落ちている。相手の顔色ひとつ見逃さない。だから、攻撃が決まり仲間がハイタッチをするときにも、セッターは絶対に相手コートから目を切ってはいけない。
中田が日立に入部した当時、日立はほぼそのまま日本代表といっていいメンバーを誇る強豪だった。そんな中で、中田はキャプテンの江上、アタッカーの三屋に育てられた、という。自分の上げるトスを二人が自在に間を作って決めてくれることで、だんだんと自信をつける。キャプテンの江上は、「とにかく真上に上げてくれればいい」とだけいったという。中田が真上に上げたトスを、江上は時に落ち際を、時に上がりきる前に打つことで自在に間を作り出していた。
常にバレーボールについて考えるバレー漬けの日々の中で、不意に自分にも「間」というものが見える瞬間が訪れた。徐々にわかるのではなく、不意にわかる。しかしそれは常に考えつづけなければ、けしてわからない、と中田は語る。
そしてチームの新陳代謝が進むと、中田は今度は逆に大林素子を育てる立場になる。アタッカーの大林の持ち味はサイドからの攻撃にあった。だから、大林に決めさせるように試合を組み立てていく。ゲームの先の展開、大林を育てること、勝つために、中田は考える。まず相手に徹底的にセンター攻撃を意識させ、相手ブロッカーを中に寄せていく。そこで、サイドからの大林を使う。センターを意識している相手ブロックは1枚になる。大林は、得意の攻撃を決めることで自信をつけていく。
かつて東洋の魔女を率いて世界を席巻した大松は回転レシーブというオンリーワンの技術を選手に身につけさせた。名将・山田重雄は速さと複雑さのバレーで世界の高さに挑んだ。いま、日本のバレーには選手起用に柱となる考えがなく、クイックが使えない布陣が生じたりしている。これらは指導者の問題、いま女子バレーに必要なのは考えさせる指導者です、という中田の言葉は、流行のコーチングの考え方とも通底する。
"間"、"タメ"、"スピード"という言葉が、中田の口からは重なり合うようにして表される。"スピード"について気付かされたのは、中国のバレーからだった、という。中国のバレーはけしてトス自体は速くない。にもかかわらず、セッターの作る"間"がそれを速く見せたり遅く見せたりしているということに彼女は気付く。『相手に自らの攻撃を読ませないというのは、それだけで相手からスピードを奪い去っているということなんです』という言葉には一事が万事に通ずるということを思わずに入られなかった。
二宮は彼女の話を聞くうちに、セッターとキャッチャーとは非常に似通っているということに気付き、それを指摘する。投手の配球をどう組み立てるか、投手のもっている癖をどう生かすか、古田敦也と中田久美の共通点に感じ入り、やや二宮がしゃべりすぎるきらいがあるが、この本は十分に天才セッター中田久美の頭脳を見せ付けてくれた。
最後に、中田が中田自身について語ったくだりを紹介しよう。
私のトス回しって、一言で言えば、意外性の連続なんです。私の存在意義といっては大袈裟かもしれませんが……。それが"強気"と言われたり、"攻撃型セッター"と呼ばれる原因になったわけですが、私に言わせれば予定通りのことをしていても勝てない。それを意外ということの方がおかしい。(中略)ただ、それで流れが変わって負けてしまうこともありました。これはもう賭けですよね。(中略)曲がりなりにも私が"世界と勝負できるセッター"という評価をもらっていたとすれば、その背景にはそういう理由(注:二宮の「場合によっては賭けに出てでも流れを変えないといけないときがある」という発言を受けて)があったと思います。私は絶対に引かなかった。それは考えることを放棄しなかったということです。(P104-P105)
あの頃、「美人だけどやけに気が強そうだな」などとのんきに外から眺めていた一人の女性の中には、勝ちに向かう気迫だけでなく、卓越した戦術眼とゲームを組み立てるための弛まざる思考があった。与えられた場所で、考えることを放棄しないこと。それがどれだけ難しいことか。かつてあのコートには確かに天才の形容詞に恥じない、世界に誇る名セッターがいたのだ。そしてぼくもまた二宮と同じく、バレーボールの奥深さを知った。

