よくわからない人

essay 】 2007 / 07 / 31
「人に理解されるとは、誤解されることに他ならない」とボリス・ヴィアンはいったそうだ。本人が語っている一節を目にしたわけではなく、これは川又千秋のエッセイからの孫引き。

「私とは誰か? ここでとくにひとつの諺を信じるなら、要するに私が誰と『つきあっている』かを知りさえすればよい、ということになるはずではないか?」とは、アンドレ・ブルトンの「ナジャ」の書き出し。

自分を理解するとは、誤解することに他ならない、とは思う。誤解したぼくと、誤解した別の誰かがコミュニケートする。ミシンと蝙蝠傘が解剖台の上で出会うように。テクスチュアルな意味付けが、そこで、生まれる。

長い間、ぼくは「よくわからない人」というラベルを甘受してきた。自分でも、自分のことがよくわからなかったし、そのことを、自らの証であるかのようにすら感じていた。でも、世の中には「わかりやすい人」がどうやらたくさんいるらしい。「よくわからない人」というラベルは年とともになんだか汚れてきた気がしなくもない。もうちょっと「わかりやすい人」になってもいいかなー、みたいな。でも気持ち悪いわけです、それ。

ちょっと何かを問われて、考えてレスポンスするときに、「わかりやすい人」は『宀』のような思考を経て返答にたどり着くのだと思う。浅く、1点張り。実に明解。逆に「わかりにくい人」は『雨』みたいな思考を取ったりする。問題の範疇をつかんだ上で掘り下げ、3本くらい掘り下げ、気になる枝も点で押さえる。結果、どこから話し始めたらいいかわからずしどろもどろになる。わかりやすくあるためにはインターテクスチュアリティをざっくり捨てなければいけない。しかし、私はインターテクスチュアリティの中でしか現前しないんじゃないかという恐れを、「よくわからない人」は捨てきれないのだ。悲しいことに。そして、過去という膨大なテクストに絡め取られて、今目の前の関係や問題から遠くに飛び去ってしまうわけだ。週刊ヤングジャンプで連載中の柴田ヨクサル「ハチワンダイバー」(集英社)を読んでいる人なら、あの『ダイヴ』の感覚を思い浮かべてもらうとわかるかもしれない。

土曜日、通院して診察時に先週出勤したことを告げると主治医があきれたような苦笑をもらした。ここに一つのコップがある。別に「実存は本質に先立つ」とつぶやくためにあるわけじゃなく、まあコップを思い浮かべる。ぼくは水が縁にかかるかかからないかくらいのところだと思っている。主治医は、思い切り水がコップからあふれているという。まったくもって水掛け論だ。苦笑。

9月に向けて大きな山がそびえている。いくつかのチェックポイントを通過してたどり着けなければ、今後の事業戦略自体の大きな見直しが必要になる。そんな中、ぼくは水があふれて使い物にならないそうだ。みなさん、ごめんなさい。とほほ。






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この記事へのコメント
選挙で疲弊の極み。偶然、先週「ハチワンダイバー」をまとめて読んだ。愉快だった。何となく養老孟司・内田樹「逆立ち日本論」を読んだ。面白かったけど、「もうちょっとダイブしろ」とツッコミたくなるような浅い感じではあった。だから読みやすいんだろうけど。
Posted by G at 2007年07月31日 03:10
「甘受」ちゅうとこに、まだなんかこだわりを感じるのう。
Posted by ムラダス at 2007年07月31日 21:34
だからその後に

『そのことを、自らの証であるかのようにすら感じていた。』

と続くわけじゃなーい?

ちなみにね、我が人生においてぼくのことを「わからん」といった回数はムラダスさんが一番多いと思うぜ、実際。笑い。
Posted by 衰弱堂 at 2007年07月31日 23:17
ときに、短絡・浅薄というカテゴリーと慎重・深遠というカテゴリーは止揚の対象となる。
わかりやすい人が「ダイヴが不足している」という者ならば、わかりにくい人は「要点をフォーカスできない・記号として伝える能力が欠損している」者となるのだろうか。それぞれの言い分的に。

わかりやすい人は、「なんだあいつ、御託ばっか並べる能書きたれだな。実戦に来いや」という非難。
わかりにくい人からは「なんという短絡的発想、中長期ビジョンを持たぬ単純な人は楽でいいやね。」という批判。


自分がどういう立ち位置にあるのか。
これは年齢・経年によって粛々と変動している。
ああ、やっぱリーマソって、アレだよねヽ(゚∀゚)ノ


怪獣博士のままでいたかったよw

っつか、昨今の記事へのコメントは、まさに立ち位置がムズすぎる('A`) 
Posted by 銀弾 at 2007年08月01日 14:30
銀弾丸さん、こんなところでむだにアナリストの能力を披露しちゃって大丈夫? 微笑。いや、その対照群の配置と言い分は的確すぎ。まいりました。
Posted by 衰弱堂 at 2007年08月01日 22:56
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