ボとヴォ、So It Goes

essay 】 2007 / 04 / 30
「自己変革は可能か」と題されたそれは、たしかPlayboy誌に掲載されたインタビューの翻訳だったのだと思う。

いま手元にないので記憶を頼りにまとめれば、

『平凡な暮らしの、何かを変えようとして、何も変わらないことに気づく。車を買い換えてみても、部屋の壁を塗り替えてみても、結局何も変わらない。そうして人は、薬の存在に気づく』

そんな言葉だったように思う。

そのことを彼、カート・ヴォネガットは、肯定していたか、否定していたか。すでに覚えてはいない。

4月12日、Gさんから「ヴォネガットが死んだらしい」と第一報がメールで入る。彼はおそらく共同電を直接読める立場なので情報が入るのが早い。
Googleニュースを見ていると「小説家ボネガット氏死去」の見出しが目にとまった。どれも共同電でニューヨークタイムズのごくごくうわべだけを掬い取ったような記事だった。それにしても、なぜ「ボネガット」と書き記すのだろう。出版されているヴォネガットの本をAmazonでボネガットを検索しても4冊しか該当しない。ヴォネガットで検索すればおそらく邦訳されたすべて、41冊が検索結果に表示されるというのに。おそらく新聞社の内規で、ヴォはボに置き換える、というマニュアルがあるのだろうが、あまりにも無教養で死者への配慮を欠く表記だ。カート・ヴォネガット、で巷間流布しているのだから、ヴォネガットと書くべきなんだ。

共同電が参照したと思しきThe New York Timesの記事を、おぼつかない英語で長めると、きわめて詳細にヴォネガットの生涯とその作品が時代に与えた意味を書き込んでいた。ヴォネガットは、日本だとおそらく大江健三郎か村上春樹のような存在(それでも、それぞれの社会に与える影響力からすれば大江や村上よりもヴォネガットのほうがずっと大きな存在だ)なのだろうが、その死に際して日本の新聞はここまで詳細な報道はできないだろう。

Amazonの検索結果を見ればわかるように、ヴォネガットの諸作はすでに多くが絶版となっている。もはや日本では求められない存在なのだろうか。彼の言葉を借りていえば、『そういうものだ(So It Goes)』。

果たして自己変革は可能なのか。のちに鶴見済は「人格改造マニュアル」でそのあたりを詳述した。脱法的だったり危険を伴ったりするこの本の評判は必ずしも芳しくない。そして、ほんとうに人格改造が可能なのかどうかもよくはわからない。

そしてぼくは2週間に1回通院し、毎日薬を飲んでいる。割と調子はよい。しかし、ヴォネガットのように、自己変革は可能かどうかを問う境地には至れそうもない。そういうものだ。







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この記事へのコメント
難しくて訳わかんない!
Posted by よっちゃん at 2007年04月30日 19:14
そういうものだ。
Posted by 衰弱堂 at 2007年05月06日 18:30
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