彼はきわめて奇妙な顔つきでじっと私を眺めた

essay 】 2009 / 11 / 30
 そういえば、10/2のMarkeZine Day 2009については書こうと思いながら書くのを忘れていたことを思い出した。その日は結構リアルに衰弱していて、電車に乗ったはいいが秋葉原で降りるはずが気がつけば浜松町まで行っていたりして、よりによって、a2iの大内さんと小川さんによるセッション「キーワードは「セグメンテーション」不況下に効くアクセス解析テクニック」に間に合わなかったんですね。それで書くのはちょっとメインディッシュのない料理みたいになりそうだな、と思って放置していたらもう2ヶ月か。

 会場に着いてすぐに始まったオムニチュアのディノ水嶋さんとぐるなびウェディング舘田さんのセッションではクライアント側の舘田さんが水嶋さんに「アドビの買収の件、どうなんですか」という豪快なマクラを振って立ち見客あふれる会場を沸かせたとか、ブレインパット佐藤さんのセッションは地味ながらデータマイニングツールKXENがすごいパワフルなのに驚いたとか、アルトビジョンの椎葉さんのセッションで右端の前から2番目の席に着いたら前に椎葉さんがいた(というどうでもいい出来事はともかく、メールマーケティングの今を実践ベースで語りきった内容は充実)とか、リクルート東さんのセッションでは『じゃらん.net』の取り組みを例に当たり前のことを組織として当たり前に行うという困難な業務改善のステップを極めてわかりやすく語っていたなど、内容はすべて満足できるものでした。その他のセッションについてはMarkeZine「MarkeZine Day 2009特集記事一覧」にまとめられております。

 ただ、個人的に書くべきこととして引っかかっていたのは会場の秋葉原コンベンションホールをあとにして、駅の改札に向かう途中に見かけたポスターだったんですよね。

 改札前の柱に、それはよく見るとポスターサイズの薄型液晶パネルがかけられていて、ほとんどポスターと変わらない鮮明度でそこにあったわけです。へぇ、紙のポスターと変わらないなあ、と思って眺めていたら、その瞬間画像が切り替わり、ぼくの中で何かかちりという音を立てたような気がしたのだけれど、あまりに衰弱していたので忘れていたのだけれども。

 これ、デジタルサイネージって奴ですよね?


「Metro Spot Board」という蹉跌
 それまでは正直、デジタルサイネージといってもしょせん単なる看板のすげ替えでしょ、とあまり興味がなかったわけです。さらにいえば、デジタルサイネージに対するぼくの中でのネガティブイメージの形成には具体的な失敗例があって、それは東京メトロの池袋駅東口改札前の男子トイレにある「Metro Spot Board」なんですよ。

 このエントリを書こうとして、まず「Metro Spot Board」の名前も思い出せず、"東京メトロ トイレ広告"などで検索をかけてもなかなかみつからなかったんですが、「Uno Tube - Broadcast of Unochan -」「広告特集 vol.3」という記事中の写真を見てようやくああ、「Metro Spot Board」だったなと。

 この池袋駅のトイレをぼくは少なくとも月に一度は使っていると思いますが、媒体を開発した明祥印刷の自社広告以外が表示されているのを見た記憶がなく、なんかディスプレイが焼き付き起こしてます。「そりゃあ閑話(ボク的デキゴトロジー)」「トイレの広告」の写真を見るとわかりやすいかと。

 さらに検索すると西岡郁夫氏が当時この広告の悪趣味さについてNikkei Netの「西岡郁夫の手紙」で取り上げていたようで、ご本人が作成されていると思しきアーカイブの中の「59-悪趣味のITサービス」を読むことができました。

 この広告はどうやら帝都高速度交通営団が2004年4月1日に東京メトロに改組した際に幾つかの駅の男子トイレに設置され、その後撤去されたものも多い様子。明祥印刷のWebサイト内にはこの東京メトロの事例が見つかりません。どうやら忘れ去りたい過去なのかなあと思いきや、高速道路のトイレ内広告の事例紹介の中で

 ・以前、首都圏の地下鉄でも同様のトイレ広告を実施致しました。

の記載が。過去形ですか。そうですか。まだ残骸が残ってますけど。苦笑。

 とまれこの失敗した「Metro Spot Board」があまりに強烈すぎたせいで、これまで活用されていなかったリアルスペースに広告を持ってくる、というのは山手線のドア上のディスプレイ広告(JR東日本はトレインチャネルとして山手線、京浜東北線、中央線に導入)を含め、どうせ大したことはないだろうと高をくくっていたんです。秋葉原駅の改札前の柱を見た瞬間、何かが、ざわっとするまでは。

見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある
 そのとき起きた現象自体は極めてシンプルなもので、本来ポスターがあるべき場所に同じような像が結ばれているにも関わらず、それが一定時間眺めていると変化する、ということ。しかしぼくは、「コミックとらのあな」かなにかの2次元キャラの描かれたポスターが突然そこに現れたときに、その柱は何か意識を持って、選択的にぼくに何かを届けようとしているのではないかという気がしてきたわけです。

 俗に交通広告にくくられる駅貼りポスターは、一定の掲示期間を設けて有限のスペースを売っていました。これはデジタルサイネージコンソーシアムが定義するところのデジタルサイネージのごく一部にすぎないわけですが、例えばこの駅貼りポスターやアクリルディスプレイのような固定された広告が大画像の液晶もしくは電子ペーパーに置き換わることで、広告の売り手も買い手もより使いやすいメディアに変わる可能性が出てきます。

 月数、日数どころか、時間指定や出稿回数指定まで含めて細分化され、場所と時間を単位にしてオークション化されるケースも出てくるかもしれません。そしてそこまで行くと今度は、クリエイティブのビジュアルデザインに加えて、それをより深い意味でどうコントロールするか、誰がコントロールするか、が問題になってくるでしょう。そして、ポスターの印刷を手がけていた印刷会社は、少なからぬ打撃を受けるわけで、デジタルサイネージコンソーシアムに大日本印刷などの大手印刷会社が加わっているのは、たぶん失われる何かに代わるものを得たいからなんでしょうね。

 おそらく現時点でのデジタルサイネージでは駅貼りポスターを選択的に出稿するような仕掛けはないと思います。「お前、『コミックとらのあな』とか好きなんだよな? え?」、みたいな意図はたぶんなかったろうと。笑い。ただ、現在のセンシング技術の延長線上で考えていけば、Measurableなポスターを作ることはそう困難じゃないはず。調べてみたら「[ITpro EXPO 2009]構造計画研究所がデジタルサイネージの効果測定ソフトを出展」という記事で
顔認識技術を使った同ソフトとカメラを組み合わせて,デジタルサイネージを見た人の人数や性別などを測定できる。

 [ITpro EXPO 2009]構造計画研究所がデジタルサイネージの効果測定ソフトを出展 - ニュース:ITPro
という事例が紹介されていて、技術的にはもうすでにそこにあるものと考えてよさそうです。

 この文章を書きながらぼくが思い出したのは、安部公房の「箱男」の中の一節でした。
見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。見られる傷みに耐えようとして、人は歯をむくのだ。しかし誰もが見るだけの人間になるわけにはいかない。見られた者が見返せば、こんどは見ていた者が、見られる側にまわってしまうのだ。

 安部公房「箱男」
 デジタルサイネージの普及により、ぼくらは広告を見る側から、広告に見られる側にまわるかもしれません。想像してみよう。ぼくはいま、人影まばらな地下鉄の通路を歩いている。ぼくの前には、少し離れたところを歩く、すらりとした足にヒールをはいた女性がいる。そこには、見る限りぼくと彼女しかいない。

 彼女が通り過ぎる横では、エルメスやシャネルのヴィジュアルが次々に浮かび上がる。そして、彼女が通り過ぎた場所をしょぼくれたぼくが少し遅れて通り過ぎようとするそのとき、エルメスやシャネルは消え、通路はパチンコチェーンやラーメン屋やくだらない自己啓発本のけばけばしいイメージで満たされる。そして後ろを振り返ると、別の誰かが歩いてきていて、その変化を見ている。なんという寂寞たる光景だろう。そのときぼくは、何かに裁かれているという意識を抱かずにいられるのだろうか。

 歌舞伎町に警視庁が街頭防犯カメラシステムを導入したとき、多くの人は無関心で、今もそうだろうと思います。それはただ、一方的に見るだけだから。ぼくらの意識から零れ落ちて、不在のまま今も誰かを映し続けているシステム。

 デジタルサイネージはたぶん、そうした存在にはなりえないはずです。広告はいつもアテンションをこそ求め続けてきたのだから。不特定多数の中の一人としてそれを意識から排除し続けてきたぼくらに、それは告げる。私は、お前を見ている、と。見られる側のぼくたちは、その変化のなかでどう変わっていくのだろうか。これは、夢物語に過ぎないのものなのだろうか。

インタラクションは、さらに裏返す
 しかしその一方で、ぼくはもうひとつ別の未来図を思い描きもするわけです。それは、かつて見られる側にあったPassiveなポスターが、能動的に引き出される何かに変わるのではないか、と。

 例えば駅を降りて、携帯電話のようなデバイスで目的地の広告を呼び出す。するとそこには今日の特売品やイベントが表示される。秋葉原のような街で、メイド喫茶というキーワードを送り込むと、次々に店のポスターと所在地を示す地図が現れる。

 これはもうすでに似たような実践事例があるようですが、要は単に何かを告知する媒体ではなく、ぼくらが活用するメディアのひとつとして開かれたツールになる可能性はないのだろうか、ということ。

 また別の可能性として、モバイルブロードバンドと電柱広告の融合のようなものはありえないのだろうか。電柱にWiMAXのアンテナがあり、小さな風力発電機が設置され、電柱広告はセンサで通行人を検知して通行人がいるときだけ広告を配信する。位置情報とモバイルブロードバンドのアカウント経由で匿名化され一元化された個人情報に基づき、より最適化された広告がそこに現れ、これらの収益がモバイルブロードバンドのインフラストラクチャのコストを支える形で活用される。

 一方、インタラクションを軸にデジタルサイネージを考える場合、最も早い段階で成功事例を生み出す可能性がありそうなのはCVSのレジ前ディスプレイじゃないかと思います。CVSはセブンイレブンの「NANACO」やファミリーマートの「Tポイントカード」などすでに個人の購買履歴を取得する手段を持っており、これを組み合わせてレジ前ディスプレイの出稿最適化と結びつけるソリューションはツールとして想像するに奥が深そう。ただ、現状のストアオペレーションではカードを最初に提示させることを徹底していないところがあるので、まずはそこから。あるいは単に購入時の購入商品と関連したメッセージを出稿することによりブランド記銘を強化するといったシンプルな使い方でも十分なんでしょうけど。







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