死者のblog

essay 】 2009 / 08 / 22
 ずっとこの話題について書こうと、Remember the Milkの中に放り込んだまま、気がつけば1年以上経っていた。それはなんだかぼくが取り扱うとどこか不謹慎になる気がしていたこともあるのだけれど、書くことの重さに耐えるだけの強度がぼくになかった、という気もする。

 markya3936さんの「肺癌煩悩記」、というblogがある。blogのディスクリプションには「40歳で職場の健康診断から肺がん(腺癌T1N2M0→その後治療に入る前に肺内転移発覚M1=4期)が発見された人間の顛末を記す」とある。

 オンラインゲームで知り合った友人T氏(彼については別の名前で本雑記に登場しているはずだが、ここではあえてT氏とする)に紹介され、喫煙者として、さほど真面目に受け取らず、斜め読みをした記憶がある。死を前にしたmarkya3936さんは、起きたことを丹念に拾い上げつつ、深刻でも軽薄でもない、人としての輪郭をしっかりと保ちつつ、淡々と書き続けていた。日々増悪する病状を軽妙なレトリックに包みながら、自分が自分でなくなっていくことを意識しながら、なお自分として書き続けられたそれを、ぼくはRSSリーダに登録し、時々読んでいたと記憶している。

 1年以上前の2008年2月1日、「当ブログをご覧の皆様へ」という、いつもとテイストが違うエントリが投稿された。

 それは5日前の1月26日にmarkya3936さん(K氏)が亡くなったことを友人T氏が告げるものだった。友人T氏は生前、彼の遺志を受け、管理人としてこの更新を行った。

 発病後もその形を失うことなく、家族にも告げず、blogを通して自己と向き合い、死後の差配まで考えていたK氏。遺志を託するに足ると信頼され、それにこたえた友人T氏。彼らはたぶん、ビジネスマンとしても有能なのだろう。対象からどう距離を取るのか、ビジネスにおける問題の多くはこれができないがゆえに引き起こされる。K氏は正しい距離を取ろうとし、最大の、避けようのないリスクの前で、取り得るプロフィットを得るための努力をした。友人T氏は、きちんと引継ぎを果たした。

 翻って自分のblogについて少し考えた。後事を託すべき人はどうやらいない。そもそもこんなものを託すのも託されるのもお互い困るというものだ。苦笑。これはぼくのアリバイであってそれ以上でも以下でもない。その時々にぼくがどこにいたのかを、思いつくままに書いてきた。今後もそうだろう。

 ぼくがどこにもいなくなれば、いずれアリバイの必要性もなくなる。それは残されるかもしれないし、そうではないかもしれない。不謹慎な言い方をすれば、かつて埴谷雄高が書いたように、「すべてが死に絶えたところからの視点」で書きたいとさえぼくは思っている。全く異なる、死者のblogのありよう。

 かつてある展覧会のパンフレットに一つの文章を寄稿したことがある。20世紀から21世紀にかけて、様々な記録媒体が進化しコモディティ化する中で個人に浸透し、ぼくたちは生まれてから死ぬまでの全てを記録される蓋然性の中で生きていくことになる、といった話。

 ぼくはそれを全面的に肯定することはできそうにない。太宰のように気取っていうならば、「恥の多い生涯を送つて来ました」(「人間失格」)ということだ。とてもじゃないが、人生のすべての局面に向き合うなんてぼくにはできない。写真を捨て、卒業アルバムを捨て、衰弱堂と名乗り通していまここにいるぼくは断続的に存在する何かだ。それでも、人は自分の輪郭を失ったまま生き続けることはできない。だからぼくは、周縁をめぐりながら、輪郭をトレースしながら、アリバイを捏造しながら、ぼく個人の姿をどうにか捉えようと不毛な努力をしている。K氏のように潔く生き、死ぬことは、どうやらできそうにない。







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