のがれえぬもの

essay 】 2009 / 04 / 04
記憶は次第にけずられ、あるいは磨きこまれ、それでも内に残る。ときおり、不意に還り来るそれは、苦渋であったり微笑であったりといったかたちで表情筋を動かす。

三島由紀夫の「仮面の告白」の中に、もっとも古い記憶の話だったか、産湯につかった際の、金盥の放つ光、の話が出てくる。この記憶が真実なのか、文学者の創作にすぎないのか、その答えを読んだ記憶はない。

ぼくがうまれたのは横浜の、海からは遠い大船というところで、木造平屋建ての借家で育った。のちに父が家を買い、幼稚園の年長のときに引越しをしたので、4歳か5歳までそこにいたのだろう。もちろん産湯の記憶はない。隣家との間は狭く、細い庭にはモグラがいた。家には鉄籠のネズミ捕りがあった。

家の前は小高い丘で、木々の間に子供が通り抜けられるくらいの細い道があった。ネズミ捕りを持ち出して、丘を登り、斜面をネズミ捕りで滑り降りたのが、もっとも古い記憶だろうか。丘の上には畑があり、老いた男に怒鳴りつけられて慌てて逃げた記憶もある。当時、近所には年の頃も同じくらいの友人がいたはずだがそのことはまるで覚えていない。

家から少し歩いたところに三井の工場があって、白壁がずっと続いていた。見えない壁の向こうに、何度か小石を投げた記憶がある。最初にして最後の我が社会運動である。いったい、工場は悪、などという思想を、彼はどのようにして手に入れたのだろう。笑い。

工場の白い壁は幼いぼくにはひどく高く、壁に沿って歩くと木造の橋がかかった細い川があって、川向こうには国鉄のグラウンドがあった。川の左手には雑草が生い茂り、その先には廃屋があった。あれは、いったいどこだったのだろうとふとGoogleマップで検索してみるが、月日は流れ航空写真に映し出される家とビルはもはや何をも伝えない。かろうじて、JR東日本の社宅が見つかったが、その周辺はマンションが立ち並び、小川は埋め立てられてしまったのかそこにはない。

ぼくには故郷はない。

その代わりに帰りうる場所としての、闇の話をしよう。

mixiで知り合った方が、日記に、ぬばたまの闇について書いていた。ぬばたまの、とは闇にかかる枕詞。

大船から、横浜のはずれに引っ越して、長く暮らした。気がつけば父が家庭をかまえ家を持った年をはるかに過ぎ越し、なんとも不甲斐ないことよと思わなくもない。彼は後年、独立して事業をはじめ、これといった成果もなく家を売って清算したので、もはやその家もないことは以前書いたような気がする。

京浜急行が沿線に開発した住宅地の一角は、いまだ手付かずの土地が残され、そのはずれにあった家の周囲にはまだ広大な空き地と雑木林と山が残っていた。後年、それらは取り崩されて新しい住宅が立ち並び、家の周りの風景も一変するが、その一部は自然公園のような形で残された。

新しい家には、集英社の日本文学全集があった。当時刊行中だったそれは、亡母が買い求めていたもので、書店が毎月婦人雑誌と一緒に届けていた。母がそれを読んでいたのかどうかは知らない。少なくともぼくは、ほとんど読んでいなかった。手にしたのは、太宰と、芥川くらいではなかったか。引越しの際にも梱包が面倒で持ってこなかったため、もはや破棄されたに違いない。

その中に、1冊だけ、特別な巻があった。

たしか埴谷雄高と堀田善衛の合集で、何か読むものはないかと全集を収めていた棚を眺め、取り出しては戻すうちに、その巻に出会った。「死霊」というおどろおどろしいタイトルに惹かれて読み始め、ぼくは、そこからのがれられなくなった。繰り返し手にしたその一冊なのだけれど、堀田善衛は今にいたるまで一度も目を通したことがない。「広場の孤独」という題名を折に触れて幾度も思い出すにもかかわらず。

「死霊」の第一章に、三輪与志と、黒川健吉が、夜の闇の中に出て行くシーンがある。

高校生のぼくは、その闇を知りたくて、時折家を抜け出して、かつては一面雑木林だった公園に足を踏み入れた。街灯がぽつりぽつりと並ぶ遊歩道をはずれて、まだ残る雑木林の斜面を歩いていると、眼を開けても閉じても変わらぬ闇があった。住宅街のはずれ、車の行き来もなく、静かな闇の底でじっとしていると、十代のぼくがふだん抱え込んでいた不安とは別の、底も知れないのっぺりとした不安が立ち上がり、飲み込まれていくのがぼんやりと感じられ、十分と耐えられずに、何かを呼び覚まさないように、ゆっくりと街灯の下に逃れる、そんなことを幾度か繰り返した。なんとも、子供じみた話である。

夜、ベッドに横たわり、眼を閉じてまだらの縞がうごめくのにあわせて揺れながら思う。

4歳にして過激な社会活動家だったぼくは、いったい今どうしてこんななんだろうか。笑い。

タグ:memory Book





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この記事へのコメント
その闇を知りたいと。今でも願っている。そしてその先も。地下道で一緒に呼吸を止めることがきっとできないだろうと、そう思いながら。
Posted by z6 at 2015年12月09日 18:35
怖いかな。そうかもしれません。雨月物語の吉備津の釜の清姫よろしく調伏させられるべきなのかもしれません。それにしてもできないゲームの広告には溜息が漏れる。アルヴィオンだってあなたがしていたからで、そうでもなければ私はしなかったでしょう。しないでしょう。そして今やあなたのプレイグラウンド把わたしはあまりに遠い。過去をとやかく言うのは趣味にあいませんが。最も週末には山奥へ押し込められて鐘もなくてもいい位隔離されるわけですが。かつてあなたが浮かぶ瀬がある限りこのままだろうと書いたように。。繋がらなくとも書くのでしょう。あなたのテキストを読んだが故に。
Posted by z6 at 2015年12月09日 18:49
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