公園の密度

daily life 】 2009 / 03 / 29
なにごともなかったかのように書き始めてしまえば、きっとそれはなにごともなかったということ。だからぼくはそのように書き始めるだろう。

という書き出しが、まあなにかを物語ってしまうわけだけれども。そんなわけでぼちぼち再開。とはいえ、mixiに駄文を書き綴っていたのであまり再開という気はしないわけである。あれ、雑記ってこんな文体でしたっけ? もっとこう、格調高い、違いのわかる文体じゃありませんでしたか? そんなわけないな。

mixiを再度雑記の転送に切り替えると、ここ数ヶ月のmixi側のエントリが消えそうなのであっちはあっちで適当に続けることにして、さて、ここはどうしたものか。違いのわかる男にはとうていなりえぬ衰弱堂。まして違いの出せる男になぞ、どうしてなりえようか。

まあいい。同じでも、違っても。およそこの場所において何かが語られることによってのみ、衰弱堂は衰弱堂たりうる、という意味において、ぼくは語り続けるのだろうから。そのぎこちなさ、無様さに眩暈を覚えながら絶え絶えに反復される営み。誰か第三者に何かを送り届けることに仮託された、受取人が記されていない、不在者の不在証明。いつだって、お前はそうなのだ。

公園、の話をしよう。

読み終えぬまま期限がくる本と、MP3にしたCDを持って、図書館に返しにいった。iPodでアルヴォ・ペルトを聞きながら、雲を掃いた青空の下、缶コーヒーを飲みながらとぼとぼと歩く。少し、寒い。空き缶を捨てようと公園に足を踏み入れると、何か密度が違う。普段は人気のない少し広めの公園に、無数の人の気配がする。いったい、なんなんだ。

たぶんもうおわかりでしょう。そう、花見なんだ。

子供が走り回り、大人はツツジの植え込みの中にぽっかり空いた地べたにビニールシートを引いて、缶入りのアルコール飲料を手に何やら話している。遠くのグラウンドにも、いくつかのグループ。ああ、こんな風にするものなのか、と今さらながら少し感心してもいるぼくは視線を上げ、まばらに咲く花と、つぼみを見ながらとぼとぼと通り過ぎた。この公園に、昼間こんなに人が集まるのを見るのははじめてだ。夏、盆踊りのときにはこれ以上の人がいたような気がするけれど、中に足を踏み入れなかったからその密度はわからない。そのときぼくは公園のまわりを、やはりとぼとぼとウォーキングしていたのだ。

日曜日の昼間、いい年をした大人が狭い場所に集まって酒を飲む風景は、昼間に顔を出してしまった幽霊のように、場違いで、ユーモラスで、どこか懐かしく、そして、少し怖い。

本とCDを返却して、棚から新しい本を3冊と、CDを3枚。図書館を出ると、石畳の遊歩道にも花見する人の群れ。たばこの吸殻いれがそばにあるベンチで、老いた男が「今年はパッと咲ききらないね。じわじわだ」と訳知りの口調。

遊歩道とは逆の方、家に向かって歩き出し、公園と隔たった路地を通って帰った。


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この記事へのコメント
帰還きた


・・・・ボチボチいくだーね
あ、これは自戒


ヽ(・∀・) ノ
Posted by 銀弾 at 2009年03月30日 15:02
帰還とともに1getterも復活した……。

いい頃合で連絡くださいまし。微笑。
Posted by 衰弱堂 at 2009年04月01日 00:23
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