衰弱堂のつくりかた

essay 】 2008 / 08 / 07
前回のエントリーに"福井で働くプログラマー"こと最近我が職場から独立を果たしたMさんが
現代の日記なのに、古本屋で見つけた昭和30年頃の
随筆のような錯覚を覚える文調がとても自分ごのみです。
とコメントしてくれているのを見て、はあなるほどなあと思った。内容のくだらなさや志の低さはさておき、こと文体の問題に限っていえば、ぼくは昭和20年以降の日本文学からそれなりに影響を受けていて、たとえば三島由紀夫の代表作のひとつ「金閣寺」が昭和31年。大江健三郎の処女作「奇妙な仕事」が東京大学新聞に掲載され、「死者の奢り」が芥川賞候補になったのが昭和32年、翌昭和33年に「飼育」で芥川賞を受賞している。まったく意識していないうちにぼく自身の源流のいくつかがこのあたりに固まっていたわけか。

以下自分用のメモとしてまとめておく。

ぼくにとって、文体の問題は煎じ詰めればリズムと語選択のそれだ。リズムを刻む際には、割と意識的に緩急をつける部分があって、たとえば、太宰のように、細かく細かく、読点を刻む。一方でそこから島尾敏雄のように一気に畳み掛けるように積み上げていこうとする嗜好は、それは間違いなくあるのだろう。島尾敏雄など「死の棘」くらいしか読んでいない。にもかかわらず、彼の持つある種強迫的なリズムがぼくのなかにある。そのことを否定できそうにない。なぜそうなったのか? そんなのさっぱりわからない。それでもぼくは時にそのように言葉を置いてしまう。リズムを形づくるのは、読点と、一文の長さ。これをぼくは、断定や体言止めや主語の省略と、否定の否定や弱い推測を、ごくごく恣意的に組み合わせ、投機的に布置する。そこには一定の美学が存在しているはずなのだけれども、ぼくにはそのような美学を明確に説明するだけの、くっきりとした輪郭が存在しない。

もうひとつの語選択はといえば、なぜかフランスの作家、アントナン・アルトーであったりジャック・デリダであったり、ロラン・バルトであったり、そのあたりの1960年代以降のフランス現代思想の仕事を参照しつつ独自の抽象性を獲得した蓮実重彦であったりといったあたりの影響を強く受けているように思える。

そもそも、何かを書き著すことの出発点において、極めて主観的な「見られるものが描写され流れていく」ところ、けして風景化されないものからはじめようとしたぼくは、アンドレ・ブルトンのようには書かないけれど、彼が「シュルレアリスム宣言」で指摘したドストエフスキーの「罪と罰」の客観描写に対する苛立ちを、その正当性は別にしても確かに共有している。確かにそれは退屈だ。それゆえに、風景を見たままに描こうとする自然主義的なアプローチは棄却される。すべてを主観性に還元するある意味『意識の流れ』的な戦略を採択するあたりではごくわずかに読んでいる伊藤整あたりの影響も受けている気がしなくもない。ここに例えば、吉増剛造だったり初期の荒川洋治だったりといった現代詩人の仕事も適当に接合されているので始末が悪い。

一方で、少なからざる影響を受けているはずの私淑してやまない安部公房の文体はぼくのそれに与えている影響という点では極小だといわざるを得ない。彼のテキストを象る独特の比喩と、想念が次の想念を呼び込んで気がつけばあらぬ場所へと連れ去られていく類のしばしば見られるオブセッションをぼくは共有していない。同じくその作品を愛する、スティーヴ・エリクソンのビジョンもぼくの表現の中にはほぼ現れない。いずれも視覚から立ち上がって想念の極限へと向かう作家であるのに対して、ぼくはある時期から映像化されない、言葉が持つ固有の連接にすべてをゆだねることを夢見たことに起因していて、視覚的な連想よりも言葉の繋がりにすべてをゆだねていく嗜好は強い。

こうしたさまざまな影響関係から生成されるできの悪さゆえにエピゴーネン的でありながら何のエピゴーネンなのかさっぱりわからない文体をもった言説は、けして戦略的になされているわけでもなく、対象との距離感を常につかみ損ねる中で場面ごとに極めて恣意的に割り当てられ、その時々に読んでいる書物に引っ張られ続ける。誰のリズム、語選択で記述するかを決めるための明確な条件分岐は存在せず、緊張感を持続しきれずに時に突如として挟み込まれる駄弁はおおむね伊集院光だったりほりのぶゆきだったりの持つ独特の逸脱と近しい。しかし、あるとき偶然に選び取られた言葉が、その言葉自体の固有の範疇を超えるか超えないかといった境界で重なり合う場所から強引に逸脱しようとする宿命性の受け入れという一点においては、シュルレアリストの営みとも重なり合うのかもしれない。

ぼくの中では、リーダビリティは一文一文の簡潔さと重ならない。何かを言い切ることは、常に未然の何かを切り捨てることと同じだ。自由連想のもつ可能性に最初に着目したシュルレアリストの末裔として、ぼくはむしろ、逸脱が起こりやすい方に向かって言葉を選び取る。そして悲しいことにシュルレアリストの美学を持ち合わせないぼくのテキストは「眼は未開の状態にある」というよりも脳が未開の状態にある。とほほ。

それは言い換えれば、わかっていることを、シンプルに書かないということで、客観的に見れば、もしくはリーダビリティの観点からすればけして正しくはない戦略であることをどこかで意識しはする。それでもぼくは、能書きと冗談で引っ張ることを選びとってしまう。君との会話を変えたいんだ。JASRACが来るからやめろよ。

まあ、AはAである、という地点で終わらせられないあたりにはあるいは埴谷雄高のモチーフのひとつである「自同律の不快」が埋め込まれているのかもしれない。『馬鹿、屈折、自同律――つづめて云えば俺はこれだけ』みたいな、埴谷のエピグラムを矮小化したものが暴走するとこうなる。AはAである、と書こうとして、気がつけばえいっとばかりに永六輔と浅田飴の話をしていたりするわけだ。そして、先週の土曜日あたりからのどの調子が悪いのだが浅田飴でも買ってくるかな、とかよけいなものをくっつけていくわけだ。笑い。

そんなわけで、結局のところ、30年代の随筆のようには、ぼくは書いていないんですね。もっと猥雑で、およそ筋が悪い書き方しかできない、と。そして人は結局、読んだものの影響から逃れ出ることなどできないんです。それは、悪いことではないと思うのだけれども。


タグ:memory Book





Comment(2) | TrackBack(0) | essay

この記事へのコメント
昭和の随筆というわけでもないのだろうが、最近内田百ケンが妙に面白い。なにか理由があるに違いないのだが、なぜか分からない。

NHKの色川武大特集を見て、狂人日記を引っ張り出してみたものの、とても正視できない。阿佐田名義のしょうもない随筆は妙に面白い。なぜだ。
Posted by G at 2008年08月11日 14:23
実は小説に比べると随筆は圧倒的に読んでいない。なにか理由があるに違いないのだが、なぜか分からない。
Posted by 衰弱堂 at 2008年08月12日 01:02
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